辛い時に読むnote
なんかいきなり暗そうなタイトルにしてしまいましたがw
人間誰しも、調子の良い時もあれば、凹む時、辛い時、悲しい時、
もっというと不幸なことが続く時、自分がなんて不幸なんだと悲劇ヒロインになってしまう時、そして絶望や挫折を感じる時ありますよね。
人は一度落ち込むと、その不幸が永遠に続くんじゃないかとか、
そういう時に限って、ついていないことが重なることが多いんですよね。
泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目、一難去ってまた一難、踏んだり蹴ったりと
比較的ボジティブなつもりの私でも、まぁありますよ。辛いことが重なる時ね。
重ならないにしても、まぁ落ち込みますよね。
そんな時を乗り切る、格言やことわざってありますよね。
「明けない夜はない」「冬来たりなば春遠からじ」とかね。
ただ私の場合、これらの言葉はなんというか、
辛い時はいつまでも続かない、きっといいことがあるという、気休めにしか感じられないんですよね。
悪い時→良い時 という一方向の話なんですよね。
実際は良い時の後には悪い時もあるのに、みんな悪い時だけ「良いことがあるさ!」と言ってくるんですよね。
実際は
辛→幸→辛→幸→辛→幸→辛→幸→辛→幸→
の繰り返しですよね。
そういう意味では、気休めではなく、ある意味良い話も悪い話も両方兼ね備えている、格言「人間万事塞翁が馬」という言葉をよく言い聞かせるようにします。
「人間万事塞翁が馬」とは何か?
みなさんご存知とは思いつつも、なんだったっけ?って方もいらっしゃると思うので解説すると、
辛い時に、いつか良いことがある!だけではなく、良い時にも、悪いことも来るということの教訓なんですよね。
幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないし、必ず転じるよってことでもあり、
長い人生でもると、何がよくて何が悪いのか、後になってみないとわからない。 という意味もあります。
「塞翁が馬」の物語は、
昔、中国の北部の国境近くの要塞に住む老人。それが「塞翁(さいおう)」さんですね。
ある日、塞翁が飼っていた馬が逃げ出してしまい、人々はこれを不幸な出来事だと言ったんですが、当の塞翁さんは落ち着いて「この出来事が福を招くかもしれない」と言ったらしいのです。
その後、逃げた馬が複数の優れた駿馬を連れて帰ってきたそうなんですね。
この時、人々は幸運だと言ったそうですが、
塞翁は再び「これは禍となるかもしれない」と言ったらしいんです。
なんとその後、塞翁の息子が駿馬の一頭に乗った際に落馬し、足の骨を折る事故が発生します。
周囲は再び同情しましたが、塞翁は「これが幸福を呼ぶかもしれない」と言いました。
次回は、地域が戦争に巻き込まれたとき、多くの若者が兵役に駆り出されましたが、足を怪我した息子は徴兵を免れ、結果的に命を救われたそうです。
ということで、不幸や幸運が、時間が経てば逆転することがあるという教訓なんですが、どっちが先かはなんとも言えませんが、初めの不幸が結果的に幸福へと繋がったってことでしょうね。
きっと波があると信じて、毎日頑張りましょう。
何もかもうまくいっている時は、落とし穴があるかもしれないと慎重にやっていきましょう。
ちなみに、子供のころ買ってもらった「ことわざ辞典」か何かに載っていたので、よく覚えているのですが、
子供の頃は「にんげんばんじさいおうがうま」と読んでいたんですが、
正しくは「じんかんばんじさいおうがうま」と読むんですよね。