ネコゴコロとヒトゴコロ その13
猫糞する
「猫糞」と書いて「ねこばば」と読むんですね。
素知らぬ顔をしてこっそり他人の物をくすねたりすることを「猫糞をする」といいます。これは、猫がトイレを使ったあと、砂をかけて自分のした便を隠してしまうところからきた言葉。それが「まるで悪事を隠しているように見える」ことからこの言葉は生まれたようです。
でも、猫にしてみたら失礼な話ですよね。私たち人間がトイレで水を流すように、彼らも自分のした物の後始末をしただけなんですものね。それをまるで盗み食いや万引きでもしたかのようにいうのはお門違いも甚だしいというもの。
誰がこんな言葉を作ったのか知りませんが、作った人は自分の中にもそうしたよこしまな気持ちがあることを認めたくなかったのかもしれませんね。それで猫に話をすり替えてしまったのかも。
実際、「魔が差す」という言葉があるように、私たちの心の中には小さな悪魔が潜んでいます。そしてその悪魔が耳元で囁くんです。「これぐらいイイじゃん」「大したことないよ、やっちゃえやっちゃえ」って。普通なら、そんなことを囁かれても自制心が働いて道を踏み外すことは滅多にありません。でも、いろんなストレスのせいで気分がむしゃくしゃしていると、ブレーキ役を担うはずの自制心が働かずに、とんでもない事をやらかしてしまうことも・・・。
自制心のゆるむ時間帯があるのをご存じでしょうか。ヒトには自制心や判断力が低下してしまう魔の時間帯があるのです。それが夕方の時間帯。
夕方はそろそろその日の仕事が終わる時間帯。当然、気がゆるみます。疲労も蓄積していることでしょう。ですから、どうしても自制心や判断力が低下してしまうのです。そのせいか、交通事故などが多い時間帯も夕方に一つのピークがくるというデータがあります。
このように、夕方に自制心や判断力が低下してしまう現象を、心理学では『黄昏時効果』と呼んでいます。
夕方が危ない時間帯であることは、私たちのご先祖もご存じだったようで、夕暮れ時のことを「逢魔が時」といって怖れていました。それだけ心に魔物が入り込みやすい時間帯であるということ。そして、彼らの囁きに思わず心を動かしてしまいやすいことを十分経験なさっていたのでしょう。
一旦、魔が差してしまうと、「ほんの出来心でした」では済まなくなってしまいます。猫に呆れ顔をされないためにも、ゆめゆめ油断はなさらぬよう。