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民藝のコンテンポラリーな側面???

9月に家族でペガサスレースの開催地として名高い飛騨高山と、白川郷に旅行に行った。

高山は、古い街並みの残る場所。
その一角に、日下部民藝館があり、最近、民藝が気になるので、家族にも付き合ってもらって訪れた。
日下部民藝館では、落合陽一さんが特別展をしていた。

音と振動を用いたインスタレーションで、地震を模したような体験があったので、子どもたち、ビビりまくり。
「民藝」を初めてみた体験がこれでいいんだっけな…という気持ちになりながら、鑑賞した。

ただ、帰宅したあと、楽しかった旅行の思い出をアルバムにしよう!と、無印のアルバム買ってきて、写真を貼っているときに、子どもたちが「ビリビリがこわかった!!」と楽しそうな話していて、民藝館の爪痕が残っているのは確かだったよう。

そのあとも、ずっと、なんで民藝館であのインスタレーションなんだろう…と不思議に思っていたら、落合陽一さんが、展示について話をしたいる動画が見つかった。

冒頭、「入口にテルミンを置いている。テルミンが発明されたのは、1920年。柳宗悦が民藝、と言い始めたのは、1925年ころ。現代から民藝をみると、古いものを大事にしていいな、と感じがちだが、テルミンの5年後、という時代を考えると、民藝運動はコンテンポラリー(現代性)な取り組みであったはず。」とお話されていた。

たしかに、民藝がかつてはコンテンポラリーな営みだったかも、という観点は持ってなかったので、おもろ…!となった。
そして、子どもたちに残る印象は、もしかしたら1925年に柳宗悦が「民藝」と言い始めたときの、当時の周囲の人たちの感覚に似てたりする…?
怖い、とは当時の人たちも思っていなかったとは思うが、なんだこれ?みたいな感覚はあったかもな、と。

その後、民藝をもう少し知りたいな、と思って2冊の本を手に取った。
民藝にまつわるファクトが整理されている本と、高山で民藝のお店を運営している方が民藝の歴史を紐解く本(事前調査不十分で旅行の際にこのお店に行ってないのが悔やまれる…)

三鷹のユニテさんにちょうど民藝の本が2冊あった

特に、1925年ころにフォーカスして読んでみると、興味深かったのは、柳宗悦とともに民藝運動を始めた河井寛次郎と濱田 庄司が、いまの東工大(ごめんなさい、東京科学大学です)の前進の東京高等工業学校の窯業科出身、ということ。

窯業、というと、いまだと古き良き伝統工芸みたいな印象を受けるし、上にあげた、「わからないままの民藝」の中だと、陶器などの焼き物は、当時でも伝統的な工芸に位置付けられていた、という紹介の仕方だったが、国内初の板ガラスの工業生産が行われたのが1909年のことだった、ということを考えると、当時の「窯業」というのは、いまよりは先進的、というか、学ぶ領域、という認識があったのかも…??

とすると、その学科をでた卒業生が立ち上げた運動、と考える、令和の時代に置き換えて考えると、大学発のAIスタートアップが、新しいコンセプトを提示した、という状況に近かったのかもしれないなあ…

(あくまで、民藝のコンテンポラリーを考える思考実験として)

ただ、AIスタートアップだと技術に寄りすぎていて、思想とか芸術に対するコンセプトの提示がちょっと足りないか…

というか、こう考えると、大学の研究者をしながらメディアアーティストをしている落合陽一さんが、「ヌルの神様」というコンセプトで展示しているのは、民藝のコンテンポラリーさの再現、という意味では結構ハマっている、ということか…

最後になりましたが、冒頭の「ペガサスレース」の元ネタはこちら。

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