パーパスも大事だけど、地域のみんなでやるなら〇〇を聞きあおう
最近の経験を振り返って、特に地域では「立派な目的があったとしても、ニーズを大切にしなくては、みんなでやる仕事は起こらんで」という話をします。
あっ、タイトルの〇〇は「ニーズ」です。
そこで、「”地域”で参加型の手法をやるなら、参加者が自ら動き出したくなるのに十分なニーズ語りをする」という経験則は役に立つだろう、というのが今回の要旨です。また、協働を生み出すための対話の場づくり※において、そもそもそニーズとはなにかについても改めて言葉にしてみました。
※Art of hostingにおけるケイオディックデザインの考え方
具体的な事例で話してみる
今回の話は、特定の出来事に限った話では無いのですが、具体的な事例があったほうがわかりやすいですよね。
それを、あえて自分がしくじった事例で話してみます。私がダメでしたが、取り組みとしては、みなのおかげで大成功だったので誤解なきよう。
さて、先日このようなセミナーを実施しました。
記事にもありますが、私たちWAチームはPTAの皆さんが主体となってセミナーを組み立てていくプロセスに伴走させていただきました。
PTAというと、「あて職、強制、イヤイヤ」の典型として語られることも多いですが、やり方次第でもっとたのしくなるのですね。
今の時代の親子や学校とって必要なことを探り、新しいやり方で試行錯誤することをせざるを得なくなってきています。「実際、それをどこで誰がするか」が問題です。
その時に「あ、PTAがあるじゃん」と思えたら強い。それが各地にあると思うとワクワクします。
「地域」で参加型の手法をやるなら、ニーズ語りは十分にやろう
今回のプロジェクトの目的は明確でした。「親子の選択肢や視野を広げるために、新しいセミナーを、PTAのみんなで組み立てて、みんなで実施すること」。
しかし、道のりは平坦ではありませんでした。そもそも「参加型でみんなの声を集めながらプロジェクトを組み立てていく」というのは、一筋縄ではいかない仕事です。
さらに、今回の高崎の事例では、そういうプロセスが未経験の人たちと、かつ、人によっては、はっきり言ってしまえば「イヤイヤ来ている人たち」も一定数いたように思います。少なくともスタートの段階では。
そのような人たちにとって参加を求められる場は、全くもってうんざりする呼びかけにもなりえます。
基本的なデザイン原則
このため、参加型のワークを生み出すワークショップでは
参加したくない人や、参加要件を満たさない人は参加いただかない
より参加する意思がある人に優先して参加してもらう
そんな状況をつくるのが鉄則です。このために、コアチームが思いを込めた呼びかけを作って、「こういう人は参加してください」という敷居を設け、それを超えてきた人と人がつながり、次の変化を作っていく。その繰り返しで、だんだんとシステムの移行をしていく。
別のノートでも書きましたが、焚き火を起こすときに、濡れた薪を突っ込むのは賢くありません。それが基本的なデザイン原則です。
https://note.com/kiyossession/n/n112664e330a6
現実はそうはいかない
しかし、まあそうはいかないというのが、多くの現実です。どうしても、「炎に、濡れた薪を突っ込まないといけない」こともあるのですよね…。
むしろ、一般に「地域」や「市民団体」と呼ばれる領域で、参加型の取り組みを起こそうとしたときには、そういった状況にある現場の方が、私は経験的には多いです。
テーマがどのくらい先駆的かにもよりますが、「これをなんとかしたい!」という想いに駆られている主催者、呼びかけ人にとっては、残念な現実かもしれません。「こんなにも大切なことなのに、わかってもらえない、なんかみんなの熱が上がらない」。
しかし、今回の高崎PTAもそこから始まりましたし、これまでも、これからもしばらくはそうでしょう。
そんな時はどうしたらいいんでしょうか。
炎はどこにあるのか
実はこれも火起こし理論の原則に書いてあることではあるのですが、改めて書くとこうです。
ここで言う「火」とはニーズのことです。ニーズとは、「その人(たち)が今、緊急になんとかする必要があると思っていること」です。
「あったらマシなこと」ではなくて「必要なこと」
「いつか」ではなく「今」必要なこと
切迫感を持って、このままじゃダメだ。今変えていく、今つくっていく必要があると思うこと
その人が過去に体験した実際の出来事に基づいて、強い感情を伴って出てくる、なにかを今やるための理由/動機づけ
ニーズとつながればこそ、人々は自ら動き出します。その動きの「どっちが前か」を定義するのが目的ですが、そもそもの動力であるニーズを捕まえて、集団で共有できるかどうか。それが事業の呼びがけの影響力、そして、その後の実効性に大きく関わってきます。
ニーズは人間の内側から湧き上がってくるものなので、主催者やファシリテーターが頭でっかちにいくら「正しいこと」を言ってもダメで、「私のこと」を体験談に基づいて話してもらう必要があります。もちろん、話しても聞かれなければ意味がありません。「ああ、今ここで、私のニーズが大切に聞かれた」という経験を共有します。
高崎PTAセミナーでの対応と誤算
ということで、今回のワークショップ3回連続のうち、最初の会ではそのニーズについて徹底的に話しました。その一部記録がこちらです。
そのおかげで第1回目は、アツい場になりました。この調子で第2回は、どんな目的で何をするかガンガン話していこうという予定でした。
しかし、そこには誤算がありました。
2回目に出た時、参加した方々の熱がすっかり冷めていた…のです。もちろん全員ではありませんが、場の雰囲気として。40人くらいいる会場が、目的を聞いたときの「しーん」。その中に漂う「まあ、はい、言ってることはわかります」という感覚。
1回目から少し時間が空いたのもあり、すっかりみんなのニーズが心の奥に仕舞われていたような感じでした。(あとは、PTA役員が地域で「持ち回り」のため、前回お見えになった方たちとは違う人が、わりと参加していたのも誤算でした)
それにもかかわらず、やばいことに、当日は目的に向かってセミナーの内容を考えていくようなデザインにしていました。しかもファシリテーターは私以外にも何人かいて、各部屋に分かれてやっていくことになっていました。
私は、その時にすぐになんとかすることができませんでした。
それでも、各部屋のファシリテーターさんが熱を供給してくれたことで救われた…のです。デザインが壊れていても、その場の運用の力で救われたのは本当に感謝ですが、プロセスをデザインする立場としては深く反省をしました。
…
しかしながら…なぜ今大切にやりたい熱い想いを忘れてしまうのか。参加者とお話を聞いてみたら、何人かの方が誠実に答えてくれました。
「そのくらい毎日、目先のことで、やらないといけないことで忙しいんです。大切なことは、誰かに聞かれないと、どんどん心の奥に入っていってしまいますね。」
「そもそも自分がどうしたいかを聞かれることが日常で少ない人にとっては、ニーズを語り出すことは簡単ではありません」
…
私はいわゆるソーシャルイノベーターなど、かなり強いニーズを持って取り組むNPOや教育機関の人たちと働く機会が多いのですが、改めて、いわゆる「地域」の事情に目を向けた時には、上のような現実に注意したいと思いました。
そのために、個人と集団のニーズについては、しっかりと語り合い、はっきりと明らかにしておくのは、マジで大事だぞ、ということを強調をしておきたいと思います。
もちろんニーズが「あるからいい・ないから悪い」と言う話ではありません。「立派な目的はあっても、そもそもそれを今やる必要を感じられていない、やりたいと思っていない」なら、「この仕事は、今やらなくてもいいのではないか」は話す価値があることだと思います。
「やめる」というのは、もっと必要なことが起こるためのスペースを開けるための賢い選択です。私たちの時間、お金、リソースは、いつも限られています。その意味で、「ニーズがなかった」ことを知るのも役に立つことです。
今回のPTAに関しては、明らかに強いニーズが「ある」ことがわかっていたので、実際に、第2回の時は、私が担当する分科会では、企画を進める事は諦めて、ひとりひとりのニーズとしっかりつながり直すことにしました。
ニーズを探る問いは例えばこうです。
もちろん、それを話しているだけでは前に進まないので、どこかのタイミングで、私たちはニーズをステートメントにして残す必要があります。
私が担当した子供との関わり方分科会のニーズはこのような形で文書化されました。
目的ではなくニーズがリーダーになることもある
最後に、「地域」という境界が曖昧なドメインで、きわめて多様な人が関わりうる場合は、目的よりもニーズに力点を置いた方が賢いことがある、と考える理由は他にもあります。
しはしば、私たちは、共通の目的やビジョンを見つけることが、コレクティブな仕事をはじめるための前提条件と考えがちです。確かにそれは役に立つガイドですが、多様な人が生活のために忙しく動いている「地域」では、そもそも「立ち止まって話しあう」スペースが確保されづらいです。また、私が知る限り、日本では、私たちはそれを推奨する教育を受けていません。
また、「合意された目的」に向かって動くことを強調しすぎる仕組みや関係性は、同時に、それに反対する/賛成しない人々を排除する仕組みをもつくっていることになります。「けっ、なんだよーもう勝手にしてよー」「いや、言ってることは正しいけどさあ」みたいな。そんな経験がありませんか。(私は今回のセミナー以外にも、けっこうある)。
実際のところ、あまりに多くの利害関係者がいる時は、話し合って共通の目的に到達するのはとても難しく、それについて合意しようとしている間に、はたらきかけようと状況が変わっていると言う事は珍しくありません。
目的は、集団の関係性に秩序を(そして、時にコントロール)をもたらすので、私たちはつい共通目的をあまりに早く主張しがちです。しかし、目的を語り出そうとすることによって、むしろ起こるべき仕事が起こらなくなることがあるというのは、注意したいことです。
「まずはともに動き出す」ことによって、起こる熱や見えてくる先もあります。それが、今回の高崎PTAセミナーで見られたことでした。
そんな学びの体験をさせてもらったところで、パーパスやビジョンばかりが割と語られがちな今時の風潮へ、チャレンジしてみたくなってこの記事を書きました。
仕事を起こしたいならまずニーズじゃないか、と。
この辺りの考え方は、経験に基づくものですが、言語化にあたっては、shaerd work modelに助けられています。
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あなたが「みんなでやる」必要がある仕事を起こす時、どのように人々にはたらきかけていますか。ぜひ経験談を教えてくださいね。
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おわりに、今回学びのためのケースとして取り上げる機会をいただいた田邉郁也会長、高井俊一郎委員長、一緒に汗をかいて動いた委員会の皆さま、また取材掲載いただいた「ちいきしんぶん」の皆さまに、そして、群馬のプラクティショナーのみんな、Workartsチームに心から感謝します。
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