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親子の生き方・はたらき方の選択肢をひらく学びの場を共につくる/高崎市PTA連合会

高崎市PTA連合会でのワークショップでした。アツかった…!(いろんな意味で

会場はなつかしい中央公民館。小中学生のときに、となりの少年科学館によく来てました。はじめてプラネタリウムを見た場所。こういうふうに帰ってくることは想像していませんでした。

今回、市内各中学校のPTAから50名ほどの保護者の方が参加しました。

目的は、子どもたちの生き方・はたらき方の選択肢を広げるために、保護者の私たちがどのようなことをともに学んでいけると助かるかについて、互いの声を聞き集め、グループの関心の分布を見える化すること。

今後、その関心マップに基づいて、いくつかのイシューごとに保護者さんたちがチームを組んで協働し、それを実際にセミナーなどの形に起こすことまで目指します。

呼びかけ人とオーガナイズは、市P連家庭教育委員会の委員長の高井さんとチームのみなさん。

ニーズはこのように声明されています。当日は、その背景にあるストーリーとともに共有されました。

みなさん「うんうんうん…」。このことをもって、コアチームが持っている次のスライドの仮説は、「今この社会で本当に起きていることのようだ」と私はますます感じました。

その後、ワールドカフェの変形版で、冒頭にある目的に向かって話し合いをしました。

そんな今回を振り返って、これまであんまり聞くチャンスがなかった「保護者の本音」を聞きあうことの威力を思い知っています。

「子どもに”ちゃんとしてほしい”感じもあるけど、もうそういう時代じゃないのかしら。好きなことを好きなように…いやでも親としては…🌀あとは子どもたちのおかれた環境がどうにも…🌀」

どうやら、今、子どもたちがおかれている環境には、あそび、学び、チャレンジの機会を制限するものが、たくさんあるようでした。

・コロナでおたのしみ行事は中止
・暑すぎてプールは中止
・少なからぬ子どもたちにとって、知っている大人は親と先生
・親も先生も忙しくて子どもたちとお話する時間が取りづらい
・先生も子どもたちも部活動が忙しくて好きなことや学ぶ時間がない(←これなに?)
・給食は「黙食」

などなど。個人的には、初めて聞いた話が多く、ショックを受けました。

それでも、なんとか子どもたちの選択肢を広げるようと、誰かに文句を言ったり要求するのではなく、自分たちで何かを作り上げようとする保護者さんたちに今回出会いました。

「親は忙しい…子どもと過ごす時間を伸ばすのもできたらいいけれど…子どもたちとの関わりの質を濃密にしていくために、なにを学んだらいいだろうか」

「遠くからすごい人を呼んでくるのもいいけど、時間の使い方スーパーかあちゃんみたいな人って、地域にいるよね。そういう人の話を聴く機会をつくろうかね」

「子どももそうだけど、まずは私が、もっと自由に生きている人の話をききたい。」

「大人同士がこのような話をする機会がもっと必要だ」

などなどなど。

それを支援しようとする高崎市PTA連合会のチームのみなさんの動きはすごかった。会場や必要な物品がカンペキに揃っていた。分科会ファシリテーターにチャレンジされた方もいた。そのための美しい紙芝居セットが勝手にできていました👏

また、それに貢献しようとする、群馬のコミュニティのみんな。長い人は10年弱、スキルを積んできているみんなはさすがに動きが違います。

そう思うと、改めて、単発のつながりや仲良しサークルだけではなく、一緒にチャレンジして知恵や経験を貯めていくプールとして、「対話/共にはたらくことを実践するコミュニティ」を育んでいくって、ほんとうに大事。

その後、当日みんなのふりかえりでは、時期柄なのか、政治や行政のシステムや、選挙の仕組みの話にもなったのですが。

あらためて、みんなかんばってるんだよなーと。保護者も、先生も、子供たちも、行政も、政治もみんなが、よかれと頑張っているみたい。少なくとも、誰かがわざわざ何かを悪くしようとは、していないようです。

多様な立場の人と対話ができると、「どこかに悪者がいるの違いない」という淡い期待は、なくなりやすいのかもしれません。

そして、「今私たちを悩ませる問題について、どこかの誰かが完璧な答えを持っているのだろうから、その誰かなんとかしてほしい」という甘い期待もなくなりやすいのかもしれません。

この複雑な現実について「概念として頭で理解する」のと、「自分たちのイシュー(つまり、子どもたちの人生、日々の暮らしなど自分にとっていま大切なこと)に引きつけてモヤモヤしてみる」のは、かなりハラオチ度が違うようです。参加者の皆さんを拝見していて改めて思いました。

(つまり、ブカブカVUCASDGs講演会を繰り返してもあんまり意味ないかも。というか、「頭でわかった気になる」というのは、ハリソンオーウェン師の言葉を借りれば、「有害ですらある」かもしれません。もしそれによって、起こるはずの行動を起こさなくさせるなら。)

また、どなたかが「最終的に子供たちがツケを払っている諸々の問題は、特定の人たちがダメなのではなく、システム不全なのだよな」とつぶやいていました。私もそう思います。そして、システムは人間がつくったものだから、変えていけます。

もし私たちが、みんなの声と力を集め、その実現のために共にはたらくことがことができれば。

そのための練習を重ね、地域にスキルが溜まっていくことを目指すのは、決してやさしい道のりではありませんが、今回そのような舞台をつくろうとみんなに呼びかけ、私をお招きいただいた高井俊一郎さんには、改めて感謝します。

最後に、お忙しい中参加された50名以上の保護者の皆さま一人ひとりに感謝と尊敬をして、このメモを終えます。ありがとうございました。

余談ですが、このPTAの会でも、それ以外でも、「反町さんがやっているのは、ファシリテーションじゃないですよね」という声を聞くことが増えてきました。

もうめんどくさいから「わたしはファシリテーターです」と堂々と名乗ってしばらく経ったら、こういうことが起こるというのは、なにやら不思議です。

ただ、「私の仕事といわゆるファシリテーターのなにが違いますか?」については、「うーん…言葉にするのが難しい…」が今のところほとんど。ラベルがつくとわかりやすいけど、陳腐になる速度も早まるからそれでいいのかもしれない…?

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