東京に来たばかりの頃の話です
東京に来たばかりの頃の話です。
二子玉川のことをニコタマと言うことは知っていましたが、正式名称もニコタマガワだと思っていました。
それってニコタマガワだよねー、と知ったかぶりをしたとき、KO出身の某君が『大野さあ、大野の将来を思って言うけど、それはフタコタマガワって言うんだよ』と言いました。
まあありがたい忠告ではありますが、もっと上手く突っ込んで笑いに変えようよ、と思った私は関西人です。
当時よく混乱した地名が、日比谷と代々木。千駄木と千駄ヶ谷。目白と目黒。御成門、青梅街道と言う地名にも異常に反応していましたが、これは関西人にはよくある事象です。わからない人は周りの関西人(男性に限る)に聞いてみよう。
路線で言うと、総武線と中央線。新宿から東京に行こうと思って総武線に乗ってしまい、両国に行ってしまったことがあります。
実は東海道線と京浜東北線の違いがいまだによくわかっていないのは秘密です。
名曲『one more time,one more chance』に出てくる桜木町は、町だから田舎に違いないと思っていたのに、大都会だったことを知ったときは驚愕しました。
関西人は丸ビルを丸いビルだと思っているので、東京駅前の丸ビルが四角いのを見て、『まるないやん!』と必ず突っ込みます。多くの人にヒアリングしましたが、これはまず間違いないです。
そんな私も、東京駅前にオフィスを構えています(シェアオフィスですが)。東京駅を降りてオフィスに向かうとき、必ず立ち止まって周囲360度をぐるりと見渡します。ニコタマガワと言っていた頃はなかったビルがバンバン建てられているのを見て、東京のダイナミズムを感じます。そんなとき、私はいつも『俺、東京で勝負してるー!』と思います。
明治維新は薩摩や長州の田舎者が成し遂げました。私もこの東京のダイナミズムの中で勝負して、何らかの事跡を残したいと思います。
『人の生涯は、ときに小説に似ている。主題がある。』(竜馬がゆく) 私の人生の主題は、自分の能力を世に問い、評価してもらって社会に貢献することです。 本noteは自分の考えをより多くの人に知ってもらうために書いています。 少しでも皆様のご参考になれば幸いです。