バレンボイム、日本来るってよ
『音楽は国境を越える』
『音楽は国境を越える』とよく言います。素晴らしい音楽は、対立している国同士であったとしても、その対立を超えて、両国の国民を感動させる、という趣旨であると理解しています。
しかし、歴史をひも解くと話はそう簡単ではないことが分かります。
ナチス政権下では、ユダヤ人は迫害され、多くのユダヤ人音楽家はドイツを離れ亡命しました。また、ナチス崩壊後は、ドイツで活動していた音楽家に対し、「ナチスに協力したのではないか」と批判が相次ぎ、演奏できない期間が長く続きました。
つまり、素晴らしい音楽を奏でる音楽家であったとしても、政治的対立によって仕事を奪われるという時代があったわけです。上の記述ではかなり簡略化して書きましたが、ナチスの影響は甚大かつ長期にわたっており、いろんな演奏家に多大な影響を与えました。例えば以下のように。
ワーグナー
ヒトラーがワーグナー好きであったことは有名です。ナチスの式典においては、ワーグナーの曲が演奏されました。ワーグナーの曲は、聴けばわかりますが、聴衆を魅了しexciteさせるパワーに溢れています。戦意高揚にぴったりです。
演説などで国民の気持ちを惹きつけるのを得手としていたナチス政権は、ワーグナーの曲も戦意高揚に使っていました。むろん、ワーグナー自身はすでに死去していたため、自分の曲がこんな使われ方するとは夢寐にも思っていないことでしょう。
イスラエル
第二次大戦後にユダヤ人が建国したイスラエルにおいては、「ナチス」とそれに関連する物事を忌まわしい歴史として捉え、長く忌避していました。
ユダヤ人であるバレンボイムは、そんなイスラエルにおいて、ドイツのオーケストラでワーグナーを演奏することに果敢に挑戦した人でした。
2001年、彼はドイツのある楽団を率いてイスラエルに出向きました。その演奏会において、彼はワーグナーの曲を演奏することを提案しましたが、当局に否定されて別の曲を演奏しました。
しかし、アンコールにおいて、「もし聴いていただけるのであれば、ワーグナーの曲を演奏したい」と言いました。そこで会場は騒然となり、40分にわたり激論がなされました。結局、帰りたい人には帰ってもらい、聴きたい人だけ残る形式で演奏されました。
イスラエル内でも賛否両論がありましたが、彼はワーグナーの素晴らしさをイスラエル国民にもわかってほしい一念で、この演奏をやり遂げました。そんな人です。
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バレンボイムは当年78歳。この来日が最後になる可能性も高いでしょう。
よくぞこの時期に来日を決断してくれました。
今回はピアニストとしての来日です。私が行く演奏会はもっぱらオーケストラで、ピアノソロの演奏会に行くことは滅多にありません。
しかし、バレンボイムの決断に敬意を表して、かつ招聘した興行団体の意気に感じて、これは是非行こうと思います。
曲目はオールベートーヴェン。東京2回の演奏会は、最初期のピアノソナタと最後期のピアノソナタをそれぞれ演奏します。なぜ敢えてこのプログラムにしたのか、その意図も知りたいところです。