モノになるのかならないのか、分からないからこそ”やる”とそこに価値が生まれていく
人はモノになるのかならないのか、分からないことに取り組むのが苦手です。先の予定の立たないようなことには、不安も多くなるため取り組みにくいのです。そして、それでもやるという選択をしたいです。根拠はなくとも「私はこれをやる必要がある」という何かを感じて始めていきたいです。
そこには、「今の私にはわからないけど、事後的にわかる私個人にとって大事な何か」が隠されていると感じるからです。
デートは効率的にこなさない
いきなりデートの話です。デートを効率的にこなしたり、しないですよね。「朝から効率よくお店を回って、さっさと食べて、効率良くお茶をして、スタスタと歩いて、テキパキと会話して、予定よりも2時間も早く家に帰れたね」と喜ぶようなことはしませんよね。
人生の役割の発見も同じです。効率よくこなすものではないと思います。大事に大事に時間を使って培っていくものです。簡単にモノにならないから価値があります。「モノになる」「モノにならない」という資本主義的なわかりやすいモノサシで判断するものではないと思うのです。
「私にはこれをやる理由がある。なぜかはわからないけど」というものの方が、より本質的な気がします。
好きだから怖い
「それをするのが怖い」ことというのは好きである(あるいは大事にしている)ことの可能性が高いです。好きであるがために、それをやった際に失敗するのが怖いのです。
好きでも嫌いでもない普通のことでしたら、怖いという感情はわかないはずです。ちょっとやってみようかなと軽く始めたテニスで、試合をするのが非常に怖いということはないと思います。ですが、「この試合に勝てば本戦に出られる!」とのぞむ試合では、緊張とは別で試合に出ることさえも怖く感じることもあります。それだけ勝ちたいし、負けたくないし、負けたら自分の大事なテニスをやることが妨げられるからです。
適当に取り組んでいることに対して、人は怖がりません。適当ではなく、大事だからこそ怖がるわけです。ということは、怖いというのは好き(大事)ということであり、怖いことだからこそ一歩踏み出していこう、という意味を持たせることもできます。
ワクワクしている、なのに怖くて足踏みをしていることはありますか。そこに踏み出すことが人生を変えるきっかけになるかもしれません。
命をかけている人にはかなわない
命をかけている人にはかないません。その道のプロというのは命をかけています。命をかけているからスキルも磨かれます。
一流やプロと呼ばれなくても命をかけていることもあると思います。また、社会的インパクトに比例して命をかけているとは限りません。たった一人のことを大事にすることに命をかけている人もいらっしゃると思います。
自分の中でやりたいことがあった際に、モノになるかならないかは置いておいてやってみようと言ってきました。命をかけよう、というところまでオススメするわけではありませんが、命が喜んでいることがあれば、そこに集中するのはよいと思います。
心から喜べることというのは少ないものです。ワクワクすることが何一つないという人もいるぐらいです(とても多いです)。
どうぞ、「命が喜んでいることをする」ことを自分に許可してみてください。心から喜べる対象があるというのは、本当にとてもレアなことです。それが社会的に影響を与えるものかは関係ありません。お金になる/ならないも関係ありません。
命の本質から喜べることは非常にエネルギーの高いものです。エネルギーが高まるとあらゆることの実現力が高まります。だから、どうやって稼ぐかなんて問題なくなります。まずはエネルギーを注げることから始めることです。そして、そこにエネルギーを注ぐのです。(それを商売にしなくても)エネルギーが高まれば本職にも非常に大きな影響を与えますし、自然と軌道に乗っていきます。
命が喜んでいるエネルギーというのはすごいもので、そういう風にできているようです。
自分でリスクをとっていく
分からないからこそやっていく、ということが大事です。何も分からないところへ無謀に飛び込むという意味ではなく「やりたいけど、やり方が分からない」ぐらいならやりながら学べばいいということです。
そういったことに対して自分でリスクをとれるといいと思います。実際には好きなことをやると損はしません。損をするように感じることはありますが、損はしません。
そもそもですが、正直なところ損をしてもいいのではないでしょうか。自分の好きなことができるのです。本当にワクワクすることができるのです。それなら損をしてもいいと思えませんか。(嫌なことをやり続けて”損しない人生を送る”というのもおかしな話ですけど。)
それならば、好きなことをやっていれば、本質的には損をするということが起こるはずがないと思いませんか。
逆に、打算的にやるとか、誰かが良いというからやるとか、社会的に認められるからやるとか、誰かに負けたくないからやるとか、そいうことをやっていると損していきます。一見、うまくいっても損をしていきます。自分のやっていることに納得がなく、本当の満足がないので”もっともっと”を繰り返して、損する生き方になっていくのです。
損をしてもいいから、リスクをとって、ワクワクすることをやっていくことです。世間的に評価されないことでも、そうしてやっていくから、そこに価値が生まれてきます。
独自性は、一般の人がわからないところから始まります。誰もが理解できることは独自性が低いです。自分では意味がありやる価値があるとわかっている。けど、なかなか一歩が踏み出せないことにこそ独自性が生まれるのです。
まずは新しい一歩から。
終わりに:BORN TO YOGと瞑想を広めたい
BORN TO YOGと瞑想をもっと広めたいと思っております。
BORN TO YOGクラスは今までにない独自のヨガメソッドで、逆転のアサナがこんなに多いクラスもありません。また自由というのもそのテーマであり、かなり自由にやっているのに成長していくというのもとても面白いものです。既存の枠組みからどんどん外れていく快感が気持ちいいです。
瞑想は私のライフワークであります。瞑想を通して気づけるところというのはたくさんあります。なんだかわからないけど、人生がうまく回っていくということもあります。瞑想を通して「みんな繋がっているのだな」と体感として感じられることもあります。
瞑想で助かる人も多くいると思いますので、瞑想ももっと広めていきたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。