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普通の閃光

路上生活(?)も早3週目にかかろうとしており、現在路上で描いたものを少しずつnoteにアップしています。

パソコンの画面で振り返ると、本当に鉛筆1本持って飛び出してんだなぁ…と改めて実感した。

他の人の記事を読み思うところがあったので、今日は才能についてぼんやり話してみる。


ここ数か月を振り返れば、随分とnoteの人たちに助けられている。

頂いたコメントを拝読すると「才能」という単語がまま出るのだが、私自身は、絵の才能はミジンコ程度しかもらえなかったと思っている。ミジンコじゃなくてミトコンドリアかもしれない。

そう、私はそんなに技術があるわけではないのだ。上手い奴は世の中にごまんといる。


私の視点ではミジンコ並みの才能だが、他人からすれば普通ではないようだ。それを知ったのはインスタライブや路上だった。

鉛筆でさーっと線を引く・墨で色をのせるのは私にとってごくごく普通のことでありむしろここからが本番でっせと思っていたのだが、ひとつの線・色をのせるだけですごい!という反応があった。

路上においても、自分がいつものように描いているものがその場で額に入れるほど喜ばれたり、嬉しかったと言われるとすこしふしぎ(SF)な心持ちになる。

「自分の普通は他人の普通ではない」が初めて肚落ちできた。

これは他のことに置き換えても同じである。

記事から曲をつくれるスゲーギタリストのライブ配信を視聴すればギターのひと鳴らしだけでめちゃくちゃ心が躍るし、よく人を死なせる小説家の小説を読めばなんでそんなに静けさと暴力と優しさが文章で同梱できるのかと驚いている。少し前に、小説を書く人達はだいたい1時間もあれば短編小説を書けるって知って、ほんとまじですげーなと感嘆した。


ギター、詩、小説。針と糸。お菓子。

いろんな技能を持ち合わせている人がたくさんいる。


あなたのなんでもない一振りは、他者にとって美しき閃光なのだ。


noteという場所では皆々多彩に多様に輝いており、そんな人たちが自分を応援してくれているというのはなんとも有り難き幸福である。

何が言いたくなったかまた忘れた。もう言った気もするからいいか。


鉛筆1本の閃光は、週末に。


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清世/画家
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