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土地への思い入れは、人

先日、センセイのイベントで枚方市に行ってきた。日頃オンラインで勉強している仲間の集まりで、ノリはオフ会に近い。

私は愛知県出身・在住で、大学時代は京都市の左京区に住んでいた。また、大阪へはほぼ毎年清春の年末ライブに参戦しており、京都と大阪には非常になじみがある。

愛知から枚方へ行くには一度大阪か京都に出る必要があり、どちらを経由するのか迷ったが、大阪(梅田)経由にした。

このとき「土地への思い入れの強さは、人」と気づいたので、今日はそれについて話そうと思う。


土地の思い入れ=人に至ったのは、京都経由に疑問が出たからだ。出町柳まで出てぶらっとして京阪で行けばいいかなくらいでいたが、ふと、そもそも出町柳にどのような想いで行くのか?と疑問が思い浮かんだ。

「旧知の場所をぶらっとする」は、多かれ少なかれ私にとって思い出を辿ることも含まれていそうだった。

そこで出町柳~左京区の思い出を振り返ってみた。が、なんと大半が思い出せなかったのだ。

学生時代を過ごした場所、しかも今の今まで自分が好意的に捉えている場所に対してこれといった好きエピソードがまるで出ない。年月を経て記憶が飛んだことを加味してもこれは若干ショックである。わたしは何をもって京都が好きだと認知しているのかわからなくなってしまった。


京都(出町柳)への好意が疑わしくなったので、今度は大阪について考えてみる。

ここで、「土地への思い入れは人だ」と気づいたのだ。

わたしは難波にあるなんばHatchというライブハウスに毎年年末に行っていた。そう、清春のライブである。何回でも主張するがわたしは清春というミュージシャンを敬愛している。

ライブそのものはもちろんのこと、開場・開演前にワクワク感があふれすぎないよう気をつけながら難波や心斎橋をゆっくり歩く待ち時間、出会った人たちとぶらつく夜更けの道頓堀も、ぜんぶぜんぶひっくるめて彼の空間を味わえる場所として大阪に思い入れがある。


ここに行けば、この人に会える。

その人への想いと土地をシンクロさせているのだ。


人ベースの、これほどの強い思い入れは残念ながら出町柳には無かった。つまりわたしにとって出町柳は「よく通った記憶が多い道」程度である。

「京都が好き」は京都の「街そのもの」が好きなんだと思った。

京都駅に降り立った空気とか、平安神宮のザ・京都観光、四条河原町のお買い物、夜の木屋町界隈のゆるやかな喧騒、出町デルタから川端通りのチャリ爆走感、法然院の静けさ。

もちろん京都での特定の誰かとの思い出はゼロではないが、京都のどこが好き?と聞かれて取り出すならば街そのものへの好意を具体化させたもののほうが多い。

ほんといい街だな。また住みたい。


話は最初に戻り、イベントで枚方に行った。

そこでは初めて会った人がたくさんいて、たくさん喋ったり酒を飲んだり酒を飲んだり酒を飲みながら描いたりして気ままに過ごさせていただいた。

みんな笑顔でわいわいしている空間がすごく楽しかったし、料理はおいしいし酒もうまかった。

特に、いままでアイコンや画面越しでしか知らなかった人と実際にお会いし、その人の佇まいや空気を味わえたことがものすごく嬉しかった。意外性や新しい良さを発見したきらめきがあった。

これから枚方を通ったり寄ったりすると、この日の空間が思い出されるのだろう。新たな人への想いと場所への思い入れができた。

こうしてたくさんの土地とそこにいる人を感じ続けて、生きていたい。

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【余談】新しい思い入れ:京都駅

きれいめに締めたがこの日わたしは酒のせいで帰りの電車を寝過ごしている。少し早めに切り上げて枚方-丹波橋-京都駅-名古屋 の予定が、枚方から乗って起きたら三条だった。

これはヤバいと思い直近でメッセージをやりとりしていた人たちに雑な吹き出しを送りながら起き続け、三条-烏丸御池-京都駅と、なんとか地下鉄を乗り継ぎ京都駅に到着できた。

新幹線で寝たらどうしようと不安になっていたら偶然同じイベントの参加者と京都駅で鉢合わせ、保護者同伴さながら名古屋まで起こし続けてもらえた。

本日の救世主爆誕である。

この救世主さんとはなんとなくもっと話してみたいと思っていて、偶然会えたのがとても嬉しかったし京都駅の思い入れがひとつ増えた。わたしの運は確実に上がっている。

今後は酒飲んだら近隣に泊まるか保護者同伴で帰るの2択にします。

木樽の日本酒おいしかった!また飲もうね!

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