考えるのをやめるというテクニック
昔の知人から教わったテクニックです。
その知人は心療内科医に教わったらしいので、根も葉もない話ではないと思います。事実、僕はそのテクニックで心が楽になっていますし。
「考えるのやめた」と口に出す
手順は実に簡単です。
嫌なことを思い出し、気分が落ち込みそうになった瞬間、「考えるのやめた」と口に出す。そして実際、考えるのをやめる。別の楽しいことを考えてもよいでしょう。僕はチンチラや二次元美少女を見ます。
これはひとつのルーティーンです。
このワードを発することで、考えるのをやめるべきだと確かに認識し、自分に言い聞かせます。そして実際に考えるのをやめるという行動を何度も取ることで、このワードを発した時は頭や体が考えるのをやめる癖が付きます。
1回や2回うまくいかなかっただけで諦めないでください。
脳の回路というのは、やったことないことは、うまくできません。何度もそのテクニックを使うことで、配線が繋がっていき、最終的には「ある言葉を発した時は、このような行動を取る」といった回路が出来上がります。考えても仕方がないことを思い浮かべてしまった時に「考えるのやめた」と口に出し、気持ちを切り替えようと試みるのを続けるだけで、いつかこのテクニックが自然に出来るようになるでしょう。
このテクニックを使うか否かの判断基準
何も、思考停止しろというわけではありません。
考えて解決できる見込みがあるなら、考えて整理した方がいいです。
しかし、考えても解決できないのであれば、「考えるのやめた」テクニックを使用し、ただちに考えるのをやめましょう。このテクニックを適用するか否かの判断基準はここです。
例えば、『旅行に行きたいが、お金も時間もない』。
これはいずれ答えが出せますし、答えが出た時に良いことがあるため、考えるべきです。どうやってお金や時間を工面しようかとか、いざ行くならどこがいいかとか。お金や時間が無いことに落ち込むこともあるかもしれませんが、少なくともゴールがある、意味のある思考と言えます。
例えば、『かっこいいと思って買ったアクセサリーをつけてたら友達に「うわ何それダサッ。今日一緒に歩くならそれ外せよ」と言われた過去』。
思い出すたびに落ち込みますが、そんなことを思い出してもどうにもなりません。これは出口のない、意味のない思考と言えます。無駄なお金を使ったとか、自分のセンスが厨二病だったとか、そもそもあんな酷い言い方する人間は友達と言えたのだろうかとか、あ、考えるのやめた。
辛いことを考えてたら辛いのは当たり前
ネットでたまに「あいつ、鬱病だって言ってたくせに休日は元気だ。詐病だ」みたいな指摘を見ます。それに対する反論として、最も見事だと思ったものを紹介しておきます。
小学生にもわかるすごい例え話だと思いました。
「仕事が辛くて元気がない、度が過ぎていよいよ鬱になってしまった」と、「休日は元気」は、全く矛盾しません。なのに、鬱に理解がない人は、鬱ならいつでも元気を無くしていろと言ってしまいがちなのです。
話を戻します。
これは「場所」(会社と自宅)や「行動」(仕事と遊び)の例ですが、思考だって同じことです。
辛いことを考えていたら辛いのは当たり前です。辛いことを考え続けるのは、いつまでもうんこを眺めながら「臭い、臭い」と言い続けるのに等しい行為です。臭いのが嫌なら、うんこから離れるべきです。辛いのが嫌なら、辛いことを考えるのをやめるべきです。
そんな時に役立つのが、「考えるのやめた」テクニックです。
楽しいことを考えていたら、まぁ楽しくはならないかもしれませんが、辛いことを考えているよりずっとマシなはずです。
これに反論をする人は、たぶんいないと思います。「いや、俺は辛いことを考えていると元気が湧いてくる。子供の頃、友達に無視された記憶だ」みたいな人がいたらぜひご連絡ください。ちゃんとスルーします。
最後に
辛いことを考えそうになったら、まずは冷静に判断してください。
判断基準は考えて意味があるか、意味がないか、です。
意味がないと思ったら、即座に口に出してください。
「考えるのやめた」と。
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