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総括「神と仏の鎌倉幕府」(下)

前回に続いて雑誌『宗教問題』に連載した「神と仏の鎌倉幕府」の総括、補足記事です。
今回は後半戦で第3回、第4回の総括記事。
前回記事は下記よりどうぞ。

第3回「仏師・運慶と御家人たち」

「写実性」から「生身性」へ。
第39号掲載の第3回のテーマは仏師・運慶でした。

これは第3回に限らず、連載全体を通しての後悔でもありますが、鎌倉時代前期の宗教が大きなテーマにしていながら同時代の一大プロジェクトである東大寺再建事業について触れる機会がほとんどありませんでした。
特に運慶は南都を拠点とする奈良仏師の一人であり、興福寺と東大寺での造仏がその後の活躍の大きな足掛かりとなります。
何より代表作と知られる東大寺南大門金剛力士像は東大寺再建事業の中で生まれました。
運慶の生涯にとって南都での活躍は大きな意味を持つのですが、幕府の御家人との関りを主題としたために全面カット。

運慶の造像方式について、「運慶作」とは何か、という話も書きたかったのですが、こちらも文字数に余裕がなくてカット。
その代わりに大河ドラマの感想記事の中で解説しました。

本誌記事の執筆に合わせ、取材で横須賀美術館で行われた「運慶 鎌倉幕府と三浦一族」展に行ってきました。
記事でも触れたとおり、近年、運慶の作風を従来語られてきた「写実性」ではなく、「生身性」の概念で理解する議論が活発です。
私自身、そうした視点から運慶の作品を目にすることは初めてであり、貴重な機会となりました。

横須賀美術館での展覧会

第4回「後鳥羽上皇と熊野」

 昔には神も仏もかはらぬをくだれる世とは人の心ぞ(後鳥羽院)
 
第40号掲載の第4回のテーマは後鳥羽上皇。
タイトルは「後鳥羽上皇と熊野」でしたが、もう少し幅広く後鳥羽上皇の宗教関係の話を集成したような記事になりました。

熊野については第2回の「義経信仰とは何か?」でも触れておりますので、合わせて読むことで中世における熊野の影響力が見えてくるのかなという気もします。
上皇の熊野詣の最中に女官が浄土宗の僧を御所に招き入れ、それを知った上皇が浄土宗弾圧に踏み切り法然、親鸞らを流罪とした「承元の法難」については触れたかったのですが、他に書きたいことが多すぎてカット。

上皇挙兵の地、城南宮

承久の乱についてはどうしても触れざるを得ず、その過程で比叡山や熊野といった後鳥羽院が頼みとした戦力に触れるとなると浄土宗についてはカットせざるを得ませんでした。
承久の乱後も潜伏し続け、再起を狙い続けた僧・二位法印尊重は極左過激派やオウム真理教の指名手配犯のようでもあり、紹介したかった人物。「鎌倉殿の13人」に登場しなかったのは何とも惜しい。
記事の最後は日蓮が考えた「至高の存在である後鳥羽上皇はどうして負けたのか」。連載記事で取り上げた時代より後代の人ですが、最後は日蓮しかないだろうと考えていましたので自分でも満足ですし、綺麗に終われたかなと思います。

最後に

2年半前からここで鎌倉時代の解説記事を書き、大河「鎌倉殿の13人」とアニメ「平家物語」の感想を書いて、雑誌『宗教問題』で連載もしましたが、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけてはもう書きたいことは書き尽くしたかなという感があります。
一応、今回の記事を一区切りとして、noteではまた別の時代について書こうかなと思います。
といっても私が興味関心があるのは日本中世史なので、全然違うことを書くわけではありませんが。

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