「飲酒の絡む人間関係は切れ、そうでなくても付き合える人は居る」はお勧めしない
重度アルコール依存症の kiyopi です。
「飲酒の絡む人間関係は切れ、そうでなくても付き合える人は居る」
この言葉は、アルコール依存症者であれば誰でも聞いたことあると思います。
自助グループに参加すれば、これを言ってくる人は必ずいます。
ですが、アルコール依存症者は基本的に寂しがり屋であり、孤独感や疎外感を抱えて生きています。
この言葉を鵜呑みにして関係を断ってしまったがために孤独感から逃れられなくなってしまう人もいます。
それ故に、自分の唯一の居場所が自助グループになってしまう人もいます。
それが自助グループの役割の一つでもありますが、それはそれで寂しい生き方に思えるのは僕だけでしょうか?
だから、考えてみて下さい。
飲酒の絡む関係をすべて絶ってしまったとしたら、あなたにはどんな人間関係が残りますか?
そこに、楽しさを分かち合える関係はありますか?
余計に孤独になりはしませんか?
自助グループの仲間は、あなたがアルコール依存症でなくて知り合っていたとしたら、仲良くなるタイプの人ですか?
仕事上の飲み会後に距離を縮めた同僚たちの中に入って、疎外感があっても平気でいられますか?
飲酒の絡む人間関係の方が自分の人生においては必要である仲間であったり、人間関係であるのが普通です。
よく行く飲み屋でいつも会うから話し友達として仲良くしている、程度の関係であれば断っても問題ない場合はあると思います。
そういった関係でも、心配してくれる人や理解してくれる人もいますし、呑兵衛仲間だからこそ、協力的になってくれたり、依存症を知ろうとしてくれたり苦しみを聞いてくれたりもするものです。
アルコール依存症になったから飲酒の絡む人間関係を断つというのは、自分を守るためとはいえ、一方的でワガママな行動です。
もし、あなたが仲の良い友人が、その人の一方的な理由で関係を断ってきたらどう思いますか?
恋人関係でこれを経験したことある人なら、痛いほどされた側の気持ちも分かるはずです。
相手も同じ人間です。
まずはアルコール依存症である事を打ち明けてみましょう。
それで理解が得られないのなら、その時はそれを理由に断る事から始めて、関係が悪くなるようであれば断っていけばいいのではないでしょうか?
カミングアウト出来ないのは自分の心の問題です。
その不安・恐れと向き合わない限り解決はしませんし、隠さないといけませんし、それによってバレる事や疑われる事への恐れや不安も生まれます。
その場で、ソフドリで我慢できないとか、自分も飲みたくなってしまう、自分が惨めに思えてしまう、飲んでいる人にイラつく、といったことも自分の心の問題です。
周りの人には関係のない自分の問題です。
自分の一方的な理由でワガママな行動をとって、孤独感が増してしまう前に一度考えてみて下さい。
自助グループでも、アルコール依存症や断酒以外の話題も楽しめる相手を見つけてほしいと思います。
それこそ本当の仲間だと僕は思います。
今回は以上です。
参考にして頂けたら幸いです。
あなたが回復に向かえますように
ご家族様の傷や苦しみが癒えていきますように
最後まで読んで頂きありがとうございました。