怖ろしいほどに愛おしい、生き物としての衝動。
大学一年生の冬。
明け方、私は祖母の夢をみていた。
祖母からすると末娘の長女である私は、彼女にとって可愛くて仕方ない孫だったようで、常に惜しみない愛情を注いでもらっていた。
祖母は、私が物心ついたころにはリウマチで外出できなくなっていて、室内を押し車で歩く程度。一日中ベッドの上で過ごすことが多かった。それでも頭はシャッキリしていて、遊びに行くと、私はベッドのある部屋の畳にダラリと座り、日がな一日祖母とおしゃべりするのだった。
夢の中の祖母は、現実と同じくベッドの上に座っていて、布団の上に両腕を投げ出して寛ぐ私の頭を撫でながら、「あんたは本当に可愛いねぇ」と呟いていた。そう。祖母はその痩せた渇いた手で、すでに大学生になっていた私の頭を幼子を愛でるように撫でてくれるのだ。
そこで、電話がけたたましく鳴り、私は目をさました。
5時頃だったろうか。母が部屋にやってきて言った。
「おばあちゃん、亡くなったから」
その頃、祖母は体調を崩して入院しており、母も時々病院へ出かけて介護をしていた。この日はいつか来る、とわかっていた。
――つい先ほどまでおばあちゃんと一緒だったんだけど。
とは言わず、私はのそのそと布団から起き上がり、母を無言で見つめた。
悲しかった。
* * * * * * * *
祖母の葬儀の日は晴れていた。
私はずっと泣いていた。驚くほど、涙が止まらなかった。
大好きなおばあちゃんが、いなくなってしまった。
もう、私の頭を撫でてくれることは永遠にないのだ。
祖母は、仲良し夫婦だった。
祖父はずっと淡々とした表情をしていたが、棺の扉をいよいよ閉めるという時に、祖母に駆け寄ってしゃがみこみ、手のひらを彼女のおでこにそっと載せて、むせび泣いた。
80歳を過ぎてもヨーロッパへ独り写生旅行に出かけてしまうほど元気いっぱいで、ベレー帽にループタイとステッキ、という「いかにも画家」のファッションであちこち出かけていく自由奔放な祖父の、それまでのイメージとはかけ離れた弱々しい姿だった。
(その後、祖父はあっという間に体調を崩し、5ヵ月後に祖母を追うように亡くなった)
そんな祖父の姿にも胸が苦しくなって、私はいつまでも泣いていた。娘である母が苦笑するほどに。
通夜と葬儀を終え、火葬場に出かけ、祖母が天に召されるのを待った。
斎場の方が控室に呼びに来て、骨を拾いにいく。
重たい鉄の扉が開き、火傷しそうに熱を持ったコンクリート製の台座が、列をなして待つ私たち親族のもとにゆっくりと滑り込んだ。
その時だ。
この骨、食べたい。
湧き上がる思い。次の瞬間、
そんなことを思ってしまった自分にゾッとした。
なんてことを考えるんだ。怖い。気持ち悪い。
このことは、知られてはいけない。
病気で弱っていた祖母の小さな体を支えていた骨は、強い火力に砕け、細くて小さかった。
渡された長い箸でいくつか拾った。
「これが喉仏だよ」
みんなが見るとすぐ、それは骨壺にカサリとおさめられた。
* * * * * * * *
その後、あのことが忘れられなかった。
「骨が食べたい」と思ったことだ。
衝動的にわいてきた、確かな願い。
私はおかしいのだろうか。母には絶対に言えない。
娘が、自分の母の骨を「食べたい」と思ったなどと知ったら、ショックを受けるかもしれない。
でも、あの瞬間の気持ちは、嘘がなかった。
このことを抱えきれなくて、当時付き合っていたパートナーに、思い切って話してみた。すると、彼はサラリとこう言った。
「俺、食べたことあるよ、じいちゃんの」
「えっ」
「おやじも食べたよ、一緒に」
・・・・そこで浮かんできたのは、「私も食べれば良かった」だった。
同じような気持ちになる人がいる、ということにホッとした。
そして、その気持ちに従わなかった自分を少し恨めしく思った。
* * * * * * * *
その後、積極的にではないものの、話の流れがそうなった時に、この話をすることがある。全員が受け入れてくれるわけもなく、某ジャーナリズムの大家からは「にわかには信じがたい、常人ではない感覚体験をしましたね」とのお言葉をいただいた(これはこれで有難い)。
それでもこれまでに、「私は食べたよ」という方に、3人出会っている。
その度に、あの感覚を共有できる人がいるんだという安心感と、実行に移した事実を羨ましく思った。
かといって、「次はやってみよう」と決意するものでもない。
その場に立って、その瞬間にやってくる、あの衝動があれば、の話だ。
それにしても、あの感覚は猟奇的なものではなく、もっと根源的なもののような気がしていた。我々人間が脈々と行ってきた何かが、あるのではなかろうか……。
すると、見つけた。
かつて日本には、「骨噛み」という習慣があったようなのだ。
故人に対する追悼の意。
故人が自分の身体に永遠に残るようにという願い。
もしくは長寿の方であればその生命力を、崇敬を集めた人であればその能力をいただくという願いを込めて。
遺骨を食べる、という習慣は、戦前まで日本のいくつかの地域であったそうだ。
また、柳田國男最後の高弟と呼ばれる民俗学者・酒井卯作氏は、山口県笠佐島では大正時代まで遺骨を薬として飲む習慣があったとか、長野県や群馬県では解熱剤として人骨が使われていたとか、栃木出身の義母が人骨と小麦粉を混ぜたものを打撲用の薬に使っていた、などという風習を紹介している。
ここまでくると思慕の念とは違ってくるものの、そう遠くない過去において、死者の骨と生きている者の関係は、案外近しいものだったようだ。
そうそう。その後も細々とリサーチを続けている中で、こんな漫画にも出会った。
映画化も。
大切な人と一体化したい、という思いは、そこから犯罪に至るケースもあるけれど、根っこは切なく、愛おしい。
何故だかしみじみと、「私は生き物なんだな」と思うのだ。