Each Of Life 14
“I like talk〜”、“I like word〜”と、今朝の英会話のレッスンはいつも以上に自分の「好き」を話し出したら感情が溢れるように英語になっていった。
ジンバブエに住む英会話の先生とはかれこれ6年ほどの付き合い。数年空いて、今年からレッスンを再開してから、彼女と話す時間が最も自分の今をストレートに話している気がする。日々レッスンをしているから、おのずから、私の最新を1番知っているのが、彼女になる。最高の先生で、いつかジンバブエに行って、彼女と直接会うことができたらと願うばかり。
レッスンを終えて、宝物のように大事にしている、FUJI FILMのカメラを持って、新宿に向かった。Oasisがおそらく来日公演の予告となる広告を打った。その場所が地元新宿。行かずにはいられない。
その場所についたら、常に広告が出ているわけではなく、様々な広告に混ざって、出てくるのは一瞬だった。
出たと思った瞬間に、まずはiPhoneで撮り、そのあとに、場所を移して、FUJI FILMのカメラで撮った。
泣いた。ああ、私は音楽が好きだ。バンドが好きだとただただ思った。
こうやって、人生かけて好きなバンドの再結成の広告を日本で見ることができている、2024年という今を生きている事実にも泣いた。
昨日は、だいぶ死にたかった。理由は一つではないが、もう充分だなと思ってしまった部分もある。近年はかなり希死念慮から遠ざかっていたのだが、ここ最近、ふいにあらわれる頻度が上がっているような気がするから、油断ならない。
昨日死んでたら、このOasisは見られていない。大体いつもそうなのだが、死にたいと思ったすぐあとには、嬉しいことがある。その繰り返しで今日まで生き延びることができているのも事実。特に音楽が私をずっと救ってきてくれている。
仕事のあと、雨の中を駆け抜けて、渋谷 CLUB QUATTROに向かった。森大翔くんのワンマンライブを観るために。
仕事が19時まであったため、ライブが始まる19時からは遅れて、会場に着いたのは20時。少しだけでも彼の音楽が聴きたくて走った。
そういえば、Oasisが初来日したとき。チケットはソールドアウトしていたけど、どうしてもなんとかならないかと、公演会場の渋谷 CLUB QUATTROに行った。同じように会場に入れなくても来てしまった人たちと会場の外にある階段に座りながら話していると「名古屋でのチケットは余っているらしい」と聞いて、すぐにチケットぴあに行って、名古屋のチケットを買った。それが人生最初の遠征ライブになり、Oasis史上初のアンコールに遭遇することになる。今でこそインターネットでチケットの販売状況はわかるが、あの頃はそういう情報は、自分で動かないと掴めなかったし、それがおもしろかった。つくづくあのとき、どうにもならなくてもとにかく動く、行ってみるという行動をして良かった。
森大翔くんのライブ会場に入った瞬間、そのギターの音と歌声は「平和を呼び寄せる音」だなと思った。彼のライブを観るのは、2023年6月9日のファーストワンマン以来。すっかりパワーアップしていて、ステージでもかなり自由に動けている。21歳ならではの若さでの勢いでいくところはあれど、それがまた観ていて、生きる力を感じてすごく良い。たくさんのフェスに出演していたからか、ワンマンライブというより、まるでフェスでのライブを観ているような熱気があった。
聴きたい曲があった。今年の3月1日に配信リリースされた「アイライ」。
「自分が何かを好きであるというエネルギーを外に向けると、愛が返ってくると言う意味」のタイトル、「アイライ」。
ライブで聴くと、笑顔にならずにはいられなかった。そして気づいた。
「I like! これが好きと叫んだら
恥ずかしいけど鮮やかが連鎖して
愛来! あなた無しじゃ見つからない
“愛”がたくさん溢れるから」
今日は、“I like”に始まり、“I like”に終わる日だなと。
“I like”
もちろん普段から意識してはいるが、私はどれだけ声に出しているのだろうか。叫んでいるのだろうか。
今日、“I like”で話せたとき、明らかに心がクリアになっていた。そう、鮮やかさがそこにはあった。
それは、当たり前のようでいて、私が少し遠ざかってしまった鮮やかさだった。
今日、11月20日は2008年から16年ぶりに冥王星が山羊座から水瓶座に移った日。私は山羊座だ。この16年ほどに起こったことから、明らかに今日から変わっていくだろう。
改めて、思う。
私の“I like”とは。
内側でだけで解決しようとしていた。
外側に叫ぶ意識が明らかに下がっていた。
どれだけ叫んでいけるのだろうか。叫んでいきたい。
私の好きを。
私の“I like!”を。