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火恋し

先日まで、大磯のギャラリー、ぶたのしっぽでグループ展があった。サムホールまでの大きさの小さな絵の展示だ。初めてこのギャラリーのグループ展に参加したのは一昨年のことで、コロナウィルスの猛威が始まっていた頃だったか。お客様は少なかった。昨年はそんなこともあって参加を控えてしまったが、今年は参加した。

DMに選んでいたのは、最近気に入っている月桃和紙の葉書サイズに描いた、と言うか水彩絵具を滲みぼかした絵で、何となく見ているうちに、ちょっと惑星みたいだなとそんなことを思ってタイトルも付けた。

もう一つ作品を選ばなくてはならない。

それまで描いていた絵を色々並べてみたりしていたが、失敗作だと思っていた大きい絵、それの部分が面白いことに気が付いた。それで、大きい絵から小さな絵を作ることに。そんな絵を切っていい所をトリミングするなんて邪道かなあとも思いつつも、描いてある絵を切ってパネル水張り、それも包み張りにするという事をしてみたくてやってみた。だから額装無しだ。

それがなかなか気に入った。紙を水に濡らして滲ませて描く技法だったが、他の淡く混色された色の中で、濃く置いた赤がはっきりと主張をして来る。これは火だろうか?
すぐに私は『火恋し』という俳句の季語を思い付く。私は以前数年に渡って句作をしていたのだが、

火恋し母を邪険にした記憶      清子

という句を詠んだことがあった。
仕事が忙しかった頃、精神的にも荒み、全く関係の無い母に冷たく辛くあたって、気丈な母を泣かせてしまったことがある。その時のことを詠んだ。父も母も亡くなった2月という月にそんな事を思い出し、グループ展に出すことにしようとしている絵に、今、その記憶のタイトルを付けてみよう。そう思った。その季語は秋の季語ではあるのだが。

そんなグループ展目前の頃、ウクライナが戦禍に見舞われた。ミモザが咲く大磯でのグループ展が無事終わってからは、東北では地震があった。そして暑さ寒さも彼岸までと言われるが、春の彼岸過ぎて真冬の寒さになって電力節電の折、凍えた。これを書いている今日もまだ幾分寒い。暖房を付けていない部屋で、厚着をして脚には毛布をかけている。

火のような感情に襲われたり、火の暖かさを欲したり、そんな今年の春の幕開け。
コロナや地震や戦争や、色々なことがある中で、今は絵筆を握れる場所と時間があることに感謝しなければならない。

さて次は緑の美しい季節に、初めての東京でのグループ展が待っているのだがいかに。