赤と緑

ノルウェイの森

最後、直子が首を吊ったことが悲しくてならない。生と死の境界をふらふらしながら外の世界へ出るのだと思っていた。キズキの死とは対照的に、世界の内から外へ生きてほしかった。しかしページ数とストーリー展開からすればそれはあり得ないし、実のところ直子が死ぬことは予想していた。

外とのつながりがワタナベ君しかおらず、またキズキが亡くなってから、その影響をもろに受けている直子にとって、外で暮らすことは非常に難しいことなのだろう。もし直子が生きるとすれば、それは死よりも遥かに強烈な生の象徴になっただろうなと思う。セックスであらわされる生よりも、はるかに生々しくて苦しいだろうなと思う。

精神科の隔離病棟が世界の内側と言いたい訳ではない。隔離病棟もこの作品の大きな要素だが、直子のいる「内」はそれとは関係ないものと私はみなした。どちらかと言えば、作品に登場する「療養所」は生を表すもので、生きるために居る場所だと思う。

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