「杳子」を読んだ話

古井由吉著「杳子・妻隠」に収録されている「杳子」について話してみようと思う。

まず登場人物はたったの3人。神経を病む女子大生「杳子」、男子大学生「S」、そして「杳子」の姉。

Sと杳子が出逢い、お互いがお互いの「存在」に引き寄せられて「ひとつ」となる物語。恋愛小説と言えなくもないが、巷の書店に並ぶ甘い恋の物語などではない。

杳子は彼の目の前で、三十分か一時間前にどこかここから遠いところで途方に暮れて立ちつくした気持の中へ、また沈んでいく様子だった。だがすぐにまた精気がいら立たしげにからだに満ちてきた。
「なぜ信じてくれないのよ。すぐに分かったって言ったでしょう。すこしも迷いなんかしなかったわよ。ここが駅から遠かっただけなのよ。それに、そんなに時間もかかっていないじゃないの。腕時計なんか見て、なによ。」

「腕時計なんか見て、なによ。」

Sとの集合時間に一時間ほど遅れて現れた後に、杳子は「遅れてなどいない」と反論し、上のセリフを吐く。

杳子のこのセリフは痛烈だった。時間など当てにならない。「見えているもの」「表面にあるもの」を盲信している我々を突き刺さしてくる。


目の前に「りんご」があるとしよう。「りんご」という言葉がなければ、目の前にある赤々とした丸い果実は「りんご」ではない。

では、なに?

我々は、盲信している。言葉も、じぶんの体というものも、じぶんの存在も、時間も。

気づけばそこにあるものだと思っている。対して杳子は、それらの全てを、どこかに置き去りにしてきている。

杳子が置き去りにしてきたものを、Sは持ち合わせながらも、杳子に差し出しはしない。けれど、傍にいる。傍にいて、Sは、自分にも杳子的なところがあることを知る。


一生のうち、こんな出逢いをすることが何度あるのだろうか。私は、杳子とSがうらやましくてならない。

こんな恋愛をしたいと乙女心に思った。

うん、やっぱりこれ恋愛小説。


明日




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