『月と六ペンス』
2014年 サマセット・モーム『月と六ペンス』金原瑞人訳、新潮文庫
お昼時に部屋の窓を開けて、どこかの工事の音を聞きながら、ふかふかの肘掛け椅子でゆるりと読んだ作品。
日本語訳が分かりやすく、するすると内容が頭の中に入ってきて少し驚いた。まるで日本語の小説のような読み心地で、私にとっては初めての体験。
イギリス出身、40歳過ぎの男(ストリックランド)が、家庭も、仕事も、地位も名声もすべて放り出して挑んだ「絵描き」への道を書いた小説。
完全フィクションだが、エッセイの形式をとった小説で、著者が主人公の素行を逐一日記帳に記しているかのような運びだった。
著者モームはなぜこの小説を書いたのか。ずっと疑問に思いながら読んだ。
ストリックランドのモデルとなった画家は確かに存在する。しかし、モームとその画家に実際の接点はなかった。とすれば、モームは、そのモデルとなった画家の作品を鑑賞し、そこから『月と六ペンス』を執筆したということになる。
モームが、ストリックランドよりも原始主義的な人なのかもしれない、という答えにたどり着いた。
文明社会に生き、社会階級の中で他人の目を気にし、相手と自分の優劣を比べる、モームは彼らを軽蔑していた。
ストリックランドの人格が欠落している所を心底軽蔑しながら、心のどこかで彼の生き方を羨ましいと思っている。小説の題材・ネタにするため、彼の素行を描写していたが、小説の題材のため、というのは口実めいたものだ。
なぜならモームは、ストリックランドの小説を、『月と六ペンス』を書いたから。
それはもう、書かなくてはいられないほどの衝動に突き動かされて書いたのだ。他人の評価は関係がない。自分が、彼の生涯を書かなくてはならなかったから、書いたのだ。
ストリックランドがイギリスに残してきた子供の内、妹は軍人と結婚し、兄は軍隊に入隊した。兄妹どちらも自信に満ちており、周囲の者たちよりも優れた存在であるということを自負していた。
それに比べると、アタ(ストリックランドが晩年にタヒチで結婚した娘)とストリックランドとの間にできた子供は、モームが創り出した希望の産物のように思えた。自然の中で生まれ、父親の残した確かな情熱を受け継ぎタヒチの島で成長する。まるでストリックランドの形見のようだ。
小説自体は、著者がストリックランドの家族(イギリス在住)へ会いに行き、彼の晩年について語るシーンで幕を閉じる。
子供の存在については、私が勝手に過大解釈をしているだけであって、小説の中ではあまり深くは触れられていない部分だ。
しかし、もし自分の父親が突然芸術に目覚め、家族を棄て、タヒチで新しい家族を築き、その子供を「希望の産物」などと言おうものなら、たまったものではない。
小説だから面白いのだと言い聞かせて、今日のところは寝ることにしよう。
今日か明日
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