感情のおもむくまま【ぼくらの障害ドキュメンタリー.2021.2.18】
太陽が顔を出したかと思うとまた雪が降り、雪が降ったかと思うとまた太陽がこちらを覗き、忙しいやつらだなーっと思う人、どーもきよです。
めちゃくちゃ大きい雪だるま作りたい!なんてふと思ったのでした。
今日は感情的な部分を綴りたいと思います。
自分の中でも消化できてない、消化する気もないそんなものです。
ではでは…
自分の子が障害を持ってるってわかってから「障害」ってワードにすごく反応するようになりました。
障害者や障害を持った子、障害を持った子のパパやママ
そういった人となりがわかるとなんとなく見ちゃうんです。
障害を持った子のママやパパ
楽しそうに 前向きに 子育てしてるって感じるとこっちまで前向きになれるんだよね
その背景がなんとなく想像できるから
きっと色んな葛藤を乗り越えて
でも今、前を向いてるから
ついつい嬉しくて泣いちゃう
悲しく悲痛な叫びを綴り今にも消えちゃいそうな声を目の当たりにすると
こっちまで悲しくなっちゃう
でも なんとかしてあげたいって思ったり
これはこれで悲しくて悔しくて泣いちゃう
前を向きもしない、立てないほどの悲しみに溺れてるわけでもない
中途半端に愚痴をこぼしてる人を見るとついついムカッとしちゃう
悲しみの中にいるのはわかるんだけど
けど
障害を持った子
障害を持った子を見るとなんだかすごく近い存在に感じちゃう
どこかの誰かの『子供』だから『親』目線になりリンクしていく
見た感じで程度を自分の中で判断して
このぐらいなら大丈夫そうだな
この感じは大変だろうな…
重度の子を見るとそれだけで涙が出ちゃう
重度ってのはぼくの感情にも重く突き刺さる
この子がこれから歩む道はどんな道か?
来たるべき時には大好きな人とも離れ暮らしていかなきゃいけないのかな?
ぼくには未知すぎて
勝手に悲しい道なんか想像しちゃったりして
何か力になれないだろうか?
何かできることはないだろうか?
ただのエゴか押し付けか
わかんないけど
わかんないけど
答えなんて全然でてこないけど
けど
どこが正しくてどこが間違いで
どこが本人の為でどこがエゴか
家族は何を望み本人はどこへ行きたがってるのか
重度の場合なんて特に
正解なんてないような気がする
正しさってものさしでは計れない
でもその中で正しさらしきものを手探りで見つけ歩いていく
わかってるんだけどわかってない
ぐるぐるぐるぐる
一つの感情の線の上でいったりきたり
矛盾の上でいったりきたり
皮肉な大人は言うけれど
偽善者だなんだって
まさに多動だなんだって
男は急に大きいことをやりたがるとかって
そんな外野の声には蓋をして
確かに動く感情に素直に生きていきたい
こんな感情が正しいのか間違いなのかなんてどうでもよくて
確かにそこに感情が揺れてることってのがすごく大事なんだと思う
正しさでは計れない
感情の動きで人を見てく
障害を持った子ってのはこんな人間らしさを教えてくれたり
正解が溢れてるこの世界に
そのものさしでは計れないものを産み落としたり
こっちっては言えない
どっちっても言えない
そんな場所
すっごく不思議な場所
だからこそ”自分”がすごく大事な場所
うーーーむ!!!!
まだまだ上手く言葉にできない自分がいる!
伝わりやすい言葉にできるまでしばしお待ちを!
きっといつか形になると思います。
今はまだ自分の感情のおもむくままに
これがぼくらの障害ドキュメンタリー
2021.2.18
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