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僕は「愛」という言葉が ちょっと苦手 照れるので 「愛」を斜めから考えてみる
「愛の反対は憎しみではなく、
無関心である」は、
ノーベル平和賞を受賞した
マザー・テレサの言葉です。
僕は、「愛」という言葉が
ちょっと苦手です。
なにか、照れくさく、
大上段に表で語るものでは
ないような感覚で、
宗教家が熱く語っていそうな、
文章では表せない、
居心地の悪さがあるのです。
そもそも、「愛」は
近代において
欧米の「LOVE」を翻訳した
概念で、明治以前は
使っていなかった言葉です。
「愛」という字は存在しましたが、
「ゆっくり歩きながら、
過去や後ろを振り返る」
程度の意味だったようです。
僕の感覚から言うと、
「愛」は、「関心」や「興味」に
限りなく、近いのでは
と考えます。
学生の頃、好きな娘が
出来ると、
「名前は何」
「どこに住んでいるのだろう」
「趣味は何」
「誕生日は」
「食べ物は、何が好き」
などと、興味と関心が
限りなく出てきます。
母親も、子供に対する
興味、関心はMAXです。
恋愛が終わって、
お相手に対して、残念ながら、
愛が憎しみに変わる事が
あります。
でも、それは相手を
嫌いになったわけではなく、
まだまだ、その人に
関心があるからです。
夫婦も喧嘩があるうちは
まだ良いのですが、
相手に関心が無くなった時
単なる同居人に
変わります。
「愛は地球を救う」
「愛こそすべて」
(ジョン・レノン)
「愛は、すべてを包み込む」
(太宰治)
これらの言葉は、
「愛」を「関心」に変えても
およその意味は同じです。
男女の間も、
肉体だけの関係で
相手に何の興味や関心も
無ければ、それは、
愛する関係とは言いません。
野球。ゴルフ、サッカー、
釣り、フィギア収集など、
スポーツや趣味などに
「愛」を語る人が居ますが、
要するに、その事に
関心が強いという事です。
人を愛している時間は
いつも相手に関心があり、
常に、そばに置きたい
(結婚したい)と考えます。
困っている人に「愛」を
注ぐという事は、
関心を持ってあげて、
必要なものを
提供する事です。
相手や、社会に対し、
興味や関心を
放射し続ける事が、
「愛のある日々」では
無いのでしょうか。
読者の皆さんに、
良い事が
雪崩のように
起きますように。
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