絵画への視線〜自死する美術批評家・孤高の心眼 坂崎乙郎〜
1・美術鑑賞とは何か?
美術館へ行って、その絵をより深く見ようとしたとき
美術鑑賞とはどのようなことなのか、
という命題に美術評論家・坂崎乙郎はこのように書き記した。
これは『美術手帖』1964年4月号に掲載されたもので、今から60年も前の文章である。しかし、このことは今も古びてはない。
誰が、いつ、どんな時代に、なぜその絵を描いたのか。
画家への伝記的関心から、やがて画面や色彩構成など美学的アプローチへと至る。それは「見る」という極めて初動的な、小さなアクションによって切り開かれる美術鑑賞の最初の入口と言えるだろう。
2・絵を見ることで、何が起こっているのか
絵は明らかに言葉や一般的な行動以上に、その描き手の思想・生き方を反映する。そうした言論や思想以上に、そこには、人の根底に突き刺さる“何か“があるのである。
例えば、ドイツ表現派の画家エミール・ノルデは第一次大戦直後、当時弱小政党だったナチ党員となった。ナチス宣伝相ゲッペルズは彼の水彩の花の絵を好んだというが、結局「頽廃芸術」の烙印を押され排除されていく。またドイツ表現主義に強い影響を与えることなったノルウェーのムンクの作品も同様に頽廃的として同じ境遇を辿った。
ノルデの黒人的な人間描写や、ムンクの深層心理的、性愛表現が主題になる作品がドイツの民衆に触れるようであれば、鑑賞者の多くが”ゲルマン民族の優秀性に疑問を持つ人も出てくるのではないか?”ということを懸念したためである。
人の深層心理的な弱さ、柔らかさ。身体的差異だけではない人間の根源的な共通性。それは誰もが、弱く、脆く、揺らぎのある心や精神性を抱えるものなのだろうと感じる。ここに「絵を見る」ことで、美術館で鑑賞する人と、時代や環境の異なる描き手との間でちょっとした差異、分離が起こる。
違う歴史的背景の中で生まれた作品であることに気ずくとき、あるいは、その画面から何かしらの、イメージやメッセージの片鱗を受け取ったとき、絵を見る者の心の中に響く”何か”が現れる。
それはゲッペルズが意識的に反応したその感性に呼応し、奇しくもゲッペルスの思想理論そのものの中に、ムンクやノルデの作品が持っていたエネルギーが強烈なメッセージとして浮かび上がってくるのである。
と坂崎は記している。絵を描くことは、眼に見える「ある種の思想の結実」なのだ、と書く。
絵とは何か。それは、ただ「見る」という、小さな実践において発見される、人間の根底の魂の発見なのである。絵画鑑賞とは、誰もが通ることを許されたその入口なのだ。
3・美術評論家・坂崎乙郎のまなざし
引用した坂崎乙郎の文章は1983年、『絵画への視線』(白水社)に単行本としてまとめられた。また、この本には盟友・鴨居玲の短い展覧会評が収められている。
画家・鴨居玲はこの翌年1984年、心筋梗塞で倒れ、心臓の病気と創作に行き詰まり、自殺未遂を繰り返すことになり1985年9月、自宅で排ガス自殺により帰らぬ人となった。そして、その年末12月に、坂崎乙郎も鴨居の後を追うようにして、自ら命を絶っている。
日本は80年代の初め経済的成長を上り詰め、高度資本主義の時代に突入。坂崎が昇天した後の80年代後半は、消費至上主義のバブル経済期を迎えようとしていた。1985年坂崎は、その後の人間の消費欲求を享楽的に追い求めた現代日本の行く末を見届けることなく、この世を去った。
しかし世紀末以降の欧州美術の本物を見つめてきた孤高の心眼・坂崎乙郎は、この後に展開していくニッポンと欧米、全世界の文化状況をある視点から見事に見渡している。
坂崎の絶筆となった「エゴン・シーレ二重の自画像」のひとつ前に出版された、10年近くに渡る展評や美術評論が集められた書籍だが、もはや歴史的名著となった「絵とは何か」と並ぶ、坂崎美術私観の傑作と言える。