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ナガレマサユキを知っていますか〜元特攻零戦操縦士・流政之と流転の巨大芸術〜


東京日本橋・蠣殻町公園〈江戸こまた〉流政之 1992年 石碑 

1 〈江戸こまた〉元吉原 ・人形町


小股の切れ上がったおんな」という言い方がある。
 すらりとして粋な婦人の姿を形容することばは、江戸の街で使われていた慣用句が伝わったもので、さらに奥深い意味が含まれている。美人を指す表現でありながら、切れ上がった小股とはどの部分なのか? ことばを聞いて瞬時にはわからない。小股とは、外見としては見えていない部分を指しているからだ。
 小股は、足の付け根のももとももの間のこと。女性の股・陰部を指す。つまり着物の下に覆われた秘められた部分に、おんなの魅力を例えたことばなのだ。つまり一見の外装では計り知れないことで、その女性が「小股の切れ上がったイイおんな」なのかどうかは想像上のことであり、噂に過ぎぬことである。あるいはまた、実際に拝んだ経験として、本当のことかも知れないという粋な言い回しと、あそびの精神が込められた慣用句なのだ。
 遊郭という男女が交流する叙情的な文化の中で生まれた、性的交流の魅力を捉えた見事な表現と言えるだろう。

流政之〈江戸こまた〉1992年
(東京日本橋・蛎殻町公園)

・一見しただけでは、一体この彫刻の何がいいのかはわからない


 〈江戸こまた〉と名付けられた石碑が建っている場所がある。
 今の東京日本橋人形町、水天宮前にあるロイヤルパークホテルの裏手にそれはある。人の身長を超える高さ3メートル15センチの大きな石造彫刻で、作者は彫刻家・流政之(1923-2018)。成田の東京国際空港を往復するバスのエアターミナルが隣接するこの場所に、中央区が海外との玄関口となる平和都市のシンボルとして設置したと、行政の公式ホームページには記されている。
 平和のシンボルとは表向きの言い方で、明らかに作品のモニュメントには、忘れ去られたこの街の伝統を継承させるしたたかな意図が込められている。作者ナガレマサユキは、この街・人形町が持つ、日本文化の象徴性を一体の石像に刻んでいる。
 表面的に一見しただけでは、一体この彫刻の何がいいのかはわからない。区の行政から注文を受け、おとなしく立つだけの何気ない作品としてしか印象に残らないかも知れない。街にあるパブリックアートや建造物の多くは、そのように受け取らざる得ないものも少なくないだろう。
 だが、流政之〈江戸こまち〉作品のしたたかさが只者ではないことは、これから触れる江戸の歴史とその造物が建つ場所の意味と精神性に、一度でもアプローチしていただければ、納得いただけることだろう。

流政之(1923-2018)彫刻家/Photo: KEISUKE OTA

・人形町には最初の遊郭吉原があった

 流政之は、その名が体現する通り、生涯一箇所に定住することなく、日本全国をまさに”流れ”、渡り歩いた。ナガレは人形町に幾度も通い、その街に流れる血脈をしっかりと体に刻んだ上で〈江戸こまち〉の設計アイデアを生み出した。 なぜ「小股の切れ上がったおんな」を象徴する題名の彫像作品が、人形町に建てられたのか? この街はかつて永田町や丸の内の政界・財界人たちが足繁く訪れた戦前から今も続く芸妓の繁華街であり、明治以前は芝居小屋と芸者花柳の茶店が建ち並ぶ一大娯楽商業都市であった。だから〈江戸こまた〉が芸妓芸者衆を象徴しているのか?といえば、それはそんな単純な話ではない。

流政之〈江戸こまた〉1992年(東京日本橋・蛎殻町公園)

 かつて人形町は古くは葭町(よしちょう)と呼ばれヨシが叢生するところで、現在も芸妓花柳界では人形町を通称、芳町と言う慣わしが残る。この葭町こそ江戸初期、最大の遊郭があった元吉原であった。ヨシが茂る広い野原だった場所で、葭が吉と転じて、吉原の遊郭街が生まれた。
 時代が降り、幕府からの命で吉原遊郭街は浅草寺裏手の、現在の三ノ輪、南千住の吉原があったとされる場所に移された。
 人形町とは、江戸幕府が誕生した頃に、最初に置かれた最大の遊郭街であり、街の血脈にはその後も、芸妓花柳界の伝統は引き継がれている。
 後に「痴人の愛」「春琴抄」「卍」などの女性崇拝が色濃く表れる物語を書いた小説家・谷崎潤一郎が生まれた生家も、この場所にあったことも付け加えておこう。

・おんなの小股と生命の源泉

 今ではオフィス街が立ち並ぶ人形町の一角に佇む〈江戸こまた〉は、一見すると和装の足袋が形取られている。まるで小股が、親指の付け根部分に刻まれた窪みに目を向けるようにも作られている。足の親指と人差し指の間のことを小股と呼んだり、その他、足首やアキレス腱のことを示すという説も伝わる。しかし、ことばの発祥を知れば、小股が足の親指の付け根ではなく、足のももとももの間の女陰部を指すものだとわかる。ナガレは、まるで芸妓の足袋のようであり、江戸に伝わる女性性の象徴として、小股の切れ上がった江戸おんなの窪みを、この場所に持ってきたのである。


流政之〈江戸こまた〉1992年(東京日本橋・蛎殻町公園)

 国際都市、東京の玄関口としての側面もあるこの場所に、ナガレは人間の性の本質を強烈に表した石像彫刻を建てた。極めて性的人間交流の象徴的なモニュメントを、紳士的に、力を込めて、さりげなく起立させた。 
 おとこ達の背を軽々と超える3メートルの手の届かぬ場所に、天空へ向け垂直に建てた。その頭頂部には、しっかりとおんなの小股を刻んだ。
 太陽に照らされる女陰部は、月がのぼる頃には、夜露に濡れる。
 小股は生命誕生の源であり、その生命を生み出す泉がここにある。
 おとこ達が血眼になり追い求める「切れ上がったおんなの小股」。それが命が芽生えるための最初の発動であり、人類の全てがこの小股から始まる。
   
 ナガレは自分が生まれた出自の秘密と、長い放浪の果てに至った境地から、直観的にその造形設計を描き出した。

※『ナガレマサユキを知っていますか』1〈江戸こまち〉元吉原・人形町(了)〜「2」につづく


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