三代宮永東山の体の中を〈近現代・伝統/前衛・陶芸〉が通っていったと感じた日
2023(令和5)年9月29日、満月(中秋の名月)の日。
京都三条にある思文閣というギャラリーを訪れた。
〈三代宮永東山展ー宮永家の人々〉(9/16~30まで ※この展示は終了しています)が開かれていたからだ。
最終日の一日前だったが、滞在の時間を多く取るために、満を持して訪れると、会場の奥の部屋に、東京から小池一子さんがいらしており、作家・宮永理吉さんとお話になっていた。
なんと偶然のタイミングか。お二人からお話をうかがうことができて、私にはさまざまな発見があった。
この夏、京都国立近代美術館で開催されていた
《走泥社再考ー前衛陶芸が生まれた時代》展を、
私は(報道向け内覧会を含め)三度、訪れている。
私が走泥社のメンバーで最初に心惹かれた作家は、熊倉順吉、鈴木治、山田光だった。今回の展覧会では、創立者・八木一夫作品はもちろんのこと、その周辺の四耕会や辻晋堂、森里忠男らにも眼は惹きつけられた。
しかし、何度か走泥社の回顧展の会場に足を運ぶうちに、私の眼は、徐々に変わってきていることに気づいた。
理由はわからないが、初めは「自由で、縦横無尽な、爆発的な表現」の中に、前衛陶芸の魅力を見出していた。それが次第に、複雑な形のやきもの群が、魅惑的なカタチ・表現という形の一種のまやかしに騙されているような気がしてきた。そして走泥社作品群の最後の大きな展示室の出口付近に置かれた、宮永理吉さんの作品に次第に、私は強く惹きつけられていた。
陶芸家・宮永理吉は、1935年、京焼の名門宮永東山窯の長男として生まれた三代宮永東山である。1970年に、走泥社の同人となる。現代前衛陶芸家集団のメンバーとして、そして京焼の名門窯の陶工として、戦後から70年近く、2023年の今なお現役で活動を続ける芸術家だ。
〈三代宮永東山展ー宮永家の人々〉で、
三代宮永東山こと宮永理吉作品を軸として、初代・二代の作品、
そして三代東山・理吉さんの長男で陶物師の宮永甲太郎さん、
次女の美術家・宮永愛子さんの作品へ連なる、
展示を目の当たりにすることは、まさに私の中で”満を持して”という思いであった。
宮永理吉さんの祖父にあたる初代宮永東山は、明治から昭和の京のやきものが近代化へ向かう中で極めて重要な役割を果たしている。
東京を中心に活動した画家として広く知られている浅井忠が、設立したばかりの京都高等工芸学校に赴任していた時期があり、その時期に浅井忠の図案を元に作られた初代東山の陶版が残っている。
あまり知られていないが浅井忠は、1900年パリ万博の視察後、京都で京焼とアールヌーボー調の図案などを研究する「遊陶園」を設立させ、初代東山はその伝統的な京焼の意匠の革新を担った。
その伝統と革新という血脈は、二代・三代、そして次代と越え、継承されている。120年以上の時間と醸成が埋め込まれた実は(一見静かで静謐な陶器の展示だが)驚嘆の展示なのであった。
京近美の「走泥社」の作品群と思文閣の宮永東山歴代作品を見て、私はこう思った。
”三代宮永東山の体の中を〈近現代・伝統/前衛・陶芸〉が通っていった”
のだ、と。初代、二代、そして三代宮永東山である宮永理吉さんの作品群を俯瞰して見た時、私はそんな感じを衝撃的に受け取った。
【アートプロデューサー陰陽道日乗<1>2023.09.29】 10/8Rec.
※別章:〈現代・前衛・陶芸〉我々は皆やがて土へと還る/「走泥社再考ー前衛陶芸が生まれた時代」宮永理吉《海》をめぐって〉↓
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