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ジュリエット・ビノシュ
映画監督のパートナー女優を好む傾向がある。ような気がする。なんでだろう。「映画監督の目」が捉えた彼女たちの輝きのようなものを僕も感じるから、、、なんていうのはちとおこがましいな。それを感じたい、と思うからかな。
アンナ・カリーナ(ゴダール)、モニカ・ヴィッティ(アントニオーニ)、ジュリエッタ・マシーナ(フェリーニ)、ジーナ・ローランズ(カサヴェテス)、ジュリエット・ビノシュ(カラックス)、、、。
ジュリエット・ビノシュがカラックスのパートナーだった時期は短かく、パートナーを解消してからも沢山映画を撮っているけれど、未だに僕にとってはビノシュと言えば「存在の耐えられない軽さ」でも「イングリッシュペイシェント」でも「ショコラ」でもなく、「ポンヌフの恋人」だ。
2010年8月8日、旧ブログの記事に僕は三度目となる「ポンヌフの恋人」鑑賞の感想をこんな風に記録していた。
アレックスは、ミシェルと共にいられるのなら、お金などドブに捨ててもよかった。
アレックスは、ミシェルと共にいられるのなら、ミシェルの目が潰れてもよかった。
アレックスは、ミシェルのために「自分でできること」は全力でやった。
アレックスは、ミシェルのために「自分にできなさそうなこと」からは徹底的に逃れようとした。
アレックスにとって、ミシェルは身体的なハンデを負っていなければならなかった。
アレックスにとって、ミシェルと共に過ごす場所は「ポンヌフの橋の上」でなければならなかった。
アレックスの「弱さ」に僕は共感し、過去の若い頃の自分を重ね、そして苦い思いを抱いていたようだ。今観たらまた違った感想を抱くのだろうか。
そういえばジュリエット・ビノシュと永瀬正敏が共演している映画がもうすぐ公開される。河瀬直美監督の映画は一本も観たことないけど、これはちょっと観てみたい。
ヘッダー写真は「filmmaker's eye」という、一年ほど前に購入した本。映画の撮影技法に関する本だけど、写真にも役立つ情報が満載だ。
何より表紙がジュリエット・ビノシュなのがいい。
ジュリエット・ビノシュって、ハリウッド映画にもそこそこ顔を出しつつ、上手に「ヨーロッパの女優」というアイデンティティを維持しているなあ、という気がする。同じトリコロールの女優、ジュリー・デルピーやイレーヌ・ジャコブと比べると尚更そう感じる。