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一時期、僕はネット上で「ザンパノ」というハンドルネームを使っていた。結構長い間使っていたと思う。未だに僕のことをザンパノと呼ぶ人もいる。その名の由来は言わずもがな、フェデリコ・フェリーニ監督の代表作「道」の主人公の名前だ。

僕が初めて「道」を見たのはまだ映写技師の仕事を始める前。足繁く通っていた近所の図書館のレーザーディスク(!)で視聴した。(今どきの若い子はレーザーディスクなんて知らないかな。)

その図書館では他にも色々観たと思う。「椿姫」「嘆きの天使」などの古典、「黒衣の花嫁」「パリの大泥棒」「想い出のマルセイユ」などのフランス映画。その中で最も強烈なインパクトがあったのは「道」だった。

ジェルソミーナに対するザンパノの横暴な振る舞いに、かつての己の姿が透けて見える。僕はここまであからさまに乱暴で粗野なキャラクターではなかったものの、本質的には同じ類の人間だった。大切にするべき人を大切にできない。僕はずっと「捨てられた」と思っていたけれど、本当は自ら突き放したのだ。このザンパノのように。

ジェルソミーナを失ってはじめて自分の本当の想いに気付き、砂浜で泣き崩れるザンパノ。

「この男は。ザンパノは、僕だ。」

それは喜びと苦々しさの入り混じった不思議な感覚だった。己のみじめさをまざまざと見せつけられながら、同時にフェリーニが僕の肩を無言で叩いてくれるような。この感覚こそが僕の映画の原体験だと言える。それまでさんざんっぱらハリウッド映画を観てきたけれど、僕にとって本当の意味での映画の原体験はこの「共感」にこそあった。

貪るように、乾いた喉を潤すように、映画を求め続ける日々がそこから始まった。


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