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雑居ビルのスーパーヒーロー

私の職場は、大阪の大きな雑居ビルに入る事務所だ。

この雑居ビルというのが、地下階には趣ある飲食店街や怪しげなマッサージ屋、2-3階は主にクリニック、それより上はオフィスフロア、最上階には喫煙所、なぜか屋上に稲荷神社(おいなりさん)がある、古くバカでかい正真正銘の雑多なビルである。

ここで働いていると、自分の職場以外のさまざまな「リアルな仕事人」たちとすれ違うことができる。
薄暗い雑居ビルのオフィスフロアというのは「はたらく大人のスキマの時間」の解像度がやたらと高い場所だと思う。

以前勤めていた職場は、市が所有する福祉センターのような建物で、市民や施設利用者の出入りもあるが、基本的には同じ職場の人としか顔を合わすことがなく、どうも社会と断絶されている感じがして息苦しかったのだった。

つまり私は、このバカでかボロ雑居ビルの中ではたらくことを結構気に入っている。

仕事で煮詰まった時、おもむろに一歩、事務所の外に出てみることにしている。
エレベーターのボタンを押す。
すると、こんな「リアルな仕事人」たちと同乗することになる。

地下のファミマで買った栄養ドリンクとサラダを持つ若い兄ちゃん。
服はスーツだが足元はビル徘徊用のスリッパで闊歩するおっちゃん。
ガラガラとゴミ箱を引きずり、悪態をつきながらビル内のゴミを集めて回っているおじいさん。
白衣でその鋭利なネイルは大丈夫なのかと心配になるクリニックの姉ちゃん。

何百人のひとが、このビルで働いているんだろう。
そこにいる人々は一様にちょっと疲れが滲んでいて、各々の持ち場で淡々とはたらいている。
互いの事情は知る由もない。

まさに唯一無二の雑居ビル小説、津村記久子さんの『ウエストウイング』の世界観だ。

別に何の挨拶も交わすわけでもなく、ただ一点、同じビルで働くという共通点をもってすれ違う。
そのことに、わけもなく癒される。



その中で、珍しくお互いの存在を認識し、言葉を交わす人がいる。
その人のことを密かに私は「スーパーヒーロー」と心の中で呼んでいる。

それはこのビル内を担当している配送業者のおじさんだ。その人はOKさん(仮名)という。
私の職場はわりと荷物の受け取りが多く、その度に必ずOKさんが届けてくれる。

OKさんはいつもマスクをしているが、目元だけでも分かるくらい、めちゃくちゃに笑顔だ。
少し品があって、おっちゃんというより、おじさん。

あまりにも顔を合わせる機会が多いもので、次第にビル内の廊下で擦れ違う時に、お疲れ様でーす、と言葉を交わすようになった。

必要以上の言葉を交わすわけではないが、OKさんとは確実に「顔見知り」の温度感で、サザエさんでいうところの三河屋さん的な気安さをもって接してくれる。

先日、私が営業所で大量の荷物を送ることに手こずっていた時には、たまたま通りかかったOKさんが、「どうもどうも〜!」と、ありえないくらいスムーズに手助けをしてくれた。
何といっても、その仕事ぶりは嫌味がなく立派なのである。

ある日、仕事でいろいろとあり、絶望的な気分で乗り込んだエレベータでたまたま配送作業中のOKさんの「あ、どうも!ご苦労さんです〜」のひとことに、なぜだか分からないがめちゃくちゃ救われたのだった。

事情を知る職場の上司に慰められたり、同僚に愚痴を聞いてもらったりすることとは、確実に違う種類の救いである。
やっぱりOKさんはスーパーヒーローだった。

現代社会は「顔見知り」を作りにくい世界だと感じる。
「アカウント見知り」を作ることは安易だが。
友達でも恋人でも家族でもない、顔見知り。
そんなゆるやかな無益無害の関係性の中に、ぽっかりとした休憩所を見出せることもある。

自分のやっていることだけが世の中の全てではない。自分1人くらいいなくても、世の中は回る。
そんな当たり前のことすら分からなくなる時、顔を上げて、一歩踏み出て、雑居ビルで淡々とはたらくさまざまな仕事人たちを見つめればよい。

OKさん以外にも、たくさんのスーパーヒーローがここにはいるはずだから。

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