小湊鐵道に乗って
金曜日の東京出張。一仕事終えてさっさと帰阪しようとしたが、いや待てよと、なんとなく延泊することにした。
予定は未定。何をしたっていい。
都会の人いきれにわずか2日で辟易していた私は、最近できていなかったローカル鉄道旅をしようと千葉に向かった。
東日本の鉄道旅は経験が乏しいので、ここらでいっちょ乗っておきたくなったのだ。
今回乗るのは主に千葉県市原市の五井駅〜養老渓谷駅間を結ぶ小湊鐵道。
都内から電車で1時間ほど、五井駅に到着。
1日フリー切符(2000円)を購入し、ちょうど停車していたかなり年季の入ったツートンカラーのキハ204に乗車。頑固だが優しいおじいちゃん感がある。
10:01 五井駅出発
あまりに見切り発車な旅なので時刻表すら調べておらず、なんとなく終点まで行くか〜と適当に乗り込んだが、あまりに本数が少なく思いの外難易度の高い旅になりそうな予感。
ローカル鉄道旅が久しぶりすぎて、そのあたりのリサーチと勘が鈍っていた気がする。
若干の不安もありつつ、列車の時間に合わせていろんな選択肢を削っていきながら、結局何もせずに過ごす鉄道旅の悦びも心に蘇ってくる。
ディーゼルのがしゃんがしゃんという心地よい揺れや音、エンジンの匂いやのどかな風景に心身を任せてみる。
時折、空っぽになりつつある頭に仕事の心配な事項や過去の嫌な記憶が侵入してくることもあるが、それもまとめて、任せてみるのだ。
それが私の鉄道旅だ。
小湊鐵道にしばらく乗ってまず感じることは、駅名看板の文字がとにかく味わい深い!
巷では「文字鉄」などのジャンルも存在するが、私も駅フォントに心を鷲掴みにされた。
そして停車する木造駅舎がすべて素晴らしい。
多くの駅舎が登録有形文化財に登録されているようで、木造駅舎好きとしては願わくば全駅で降りてみたくなる。(だが、それをしようと思うと車で巡らねばならなさそうという皮肉)
とにかくここ目に入るもの全てに「味」が染み込んでいる。多くのファンに支持される路線であることも大納得である。
10:28 上総牛久駅着
列車は途中の上総牛久行だったため、有人駅の上総牛久駅にて下車。
さて、次の列車まで1時間以上。
パラパラと雨も降ってきたので、駅前に唯一ある業務スーパーでも徘徊するかとふらふら散歩していると、焼き菓子の文字が。
ふらっと中に入ると、お姉さんが1人美味しそうな焼き菓子を売っていた。
小さなスペースでお茶もできるということで、「ちょっとだけゆっくりさせてもらってもいいですか?」と尋ねると、どうぞどうぞと迎え入れてもらう。
コーヒーを飲みながら、お姉さんといろいろ話す。もともと鎌倉のご出身だが、旦那さんが小湊鐵道の車掌さんで、この地で鎌倉の実家の家業(菓子製造)を継いでいるそうだ。
あれこれ話しているうちにあっという間に時間が過ぎ、お姉さんとのゆるやかな会話にほくほくと幸せな気持ちになる。
絶対に事前には計画できないこんな幸せ、鉄道と街歩きが好きでよかった。
12:24 月崎駅着
トロッコ列車も休業中のため本当に本数が少なく、終点の養老渓谷まで行くと帰ってくるのが大変だし少し雨模様のこともあり、今日の残り時間は、牛久のお姉さんに教えてもらったカフェでゆっくり過ごすことにした。
何を隠そう次の上り列車までは3時間もあるのだ。
このいカフェはとてもあたたかい雰囲気のいわゆる古民家カフェで、入った瞬間から居心地がよかった。
お昼ご飯に何を食べようか迷った末、手間暇かけて作られたというビーフシチューを選択。
普段は旅先でもあまり贅沢をしない私にしては、かなりの奮発案件である。
ほわほわのお肉とぴちぴちのお野菜、こんなに心身ともに元気になれる食事があるのだなという美味しさで、こんなに美味しいものを、自分で働いたお金を使って自分に食べさせる自分をひとまず褒めよう、と思えるほどの食事体験であった。幸せの地産地消。
そしてさらになんと、いちごのチーズケーキまで食べたのだ。
くすみがちな私の生活にまず存在しない鮮やかな赤色に圧倒され、瑞々しい酸味と甘みが脳みそを溶かす。比喩ではなくたぶんちょっと溶けたと思う。
この辺りでは水が湧き出ているらしく、新鮮なお水で淹れた紅茶も舌先から五臓六腑に香りが染み渡る美味しさだった。
この数年で、いや自分の人生で最高に贅沢で豊かな食事だったんじゃないかと思う。
なんだかんだ2時間以上カフェでゆっくり読書をして過ごしているうちに晴れ間も出てきたので、少し散歩をして駅に向かう。
15:24 月崎駅→五井駅
夕方の小湊鐵道の車内で、車掌さんが小学生に「おかえり」と小さな声で言っていた。
そんな小湊鐵道のミニ旅を終え、神戸に帰った。
沿線の桜や菜の花、渓谷ハイキングや観光トロッコ列車が人気という小湊鐵道。今回はそれらすべてが存在しないオフシーズンな旅だったが、飾らない沿線の魅力にたくさん出会うことができた。
歩いている途中、道端の枝になる蝋梅を見た。
花の少ない季節に咲くその蝋細工のような花に、なんだか心踊るものがあった。