『蝦夷手の研究』感想文


澤井幸太郎『幻の拳法其の壱・蝦夷手の研究』

(楼村社・昭和6年)

 うーん、まあまあ面白かったです。

 これは、昭和初期に少年向けに書かれた本なのですが、まあ、なんというか、人を食った仕掛けのある本でして、表向きは澤井幸一郎という拳法家(柔術家)が大正の終わり頃、「蝦夷手」(えぞて)という幻の拳法をもとめて、東北、北海道から樺太、さらには沿海州(現在の中国黒竜江省あたり)まで遍歴するというルポルタージュなわけですが、現在ではその「ノンフィクション」性は否定され、ある種の「奇書」、トンデモ本として扱われています。

 つまり、ノンフィクションの体裁をとった「小説」として読むべき本らしいです。

 主人公(作者)の澤井幸太郎は大阪泉州出身の求道的な柔術家ですが、28歳の時、武者修行の旅に出ます。

 澤井は東京で出会った沖縄唐手の達人で中国拳法の研究家でもある老人から、日本列島の北方にもかつて忘却された幻の拳法があった、という話を聞きます。興味を持った澤井は、まず東北に向かいますが何も見つかりませんでした。次に函館に渡った澤井は、松前藩の古文書の中に「蝦夷手」の文字を発見して驚喜します。

 澤井はアイヌの古老を巡り、「蝦夷手」のことを聞きます。途中、ヒグマに襲われて大けがをしたりもしながらも、樺太の西海岸のある村にかつて「蝦夷手」を使う、手熊源八という男がいた、という情報を得るのです。

 その古老によると、「蝦夷手」とはもともとアイヌの文化にあったものではなく、沿海州から渡ってきた清人が樺太のある一人のアイヌに伝えたものであるということ、それが幾世代数百年の伝承を経ることによって、アイヌの精神文化と融合し、独自の発展を経たものなのだということでした。老人によると、手熊源八は死んだが、その弟子がいるかもしれないと聞き、澤井は意気揚々と樺太に渡ります。途中、虎(樺太にいるのか?)に咬まれたりしながらも、なんとか手熊の弟子(息子)手熊源太郎に出会い、ついに「蝦夷手」を習うことに成功するのです。

 澤井の記述によれば、「蝦夷手」とは動物神を体内に招き入れることにより、その力を我が物にするというもので、その動きは流麗で、中国拳法に非常に近いとのこと。

 手熊源太郎が伝承していた動物の拳は、熊、狼、鶴、鹿、蛇の五種であり、これらの神を体内に憑依させることにより、神の力を得る事が出来るとのことです。澤井はこれらの拳の型は、後に調べたところによると、中国拳法の五拳に極めて近いと書いています。手熊源太郎はまた、手から不思議な風を出し、それによって体を癒したともいい、これは気功のようなものであろう、とも言います。

 ただ、いくら修行しても結局澤井幸太郎は「蝦夷手」を修めることはできませんでした。手熊源太郎に生まれつきあって、澤井幸太郎になかった能力のために、それを本当の意味で修めることはできなかったのです。それは、神をその身に宿らせるための、シャーマンとしての能力でした。

 結局澤井は失意のうちに樺太を去り、大陸に渡ろうとして漂流し、なぜか突然あらわれたシャチに助けられて奇蹟的に大陸に渡りつき、そこで本場の中国拳法を学び、大阪に戻ってこの本を書いたそうです。

 まあ、最後まで読んでみると、これは少年向け冒険小説なんだなー、と思うんですが、当時はこれは「ノンフィクション」として宣伝されていたようですね。

 「蝦夷手」。動物の神を宿して戦うシャーマンの格闘技。

 なかなかロマンがある話ではあります。実在したらいいのになー、とは思いますね。

 ちなみに「幻の拳法」シリーズは「其の弐」が出たという記録はないようです。

2005.07.19 

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