アメリカで救急搬送された話
アメリカ留学中、人生初の救急車に乗った。
アメリカに行って2ヶ月、留学生活にも慣れてきた頃だった。
授業を受けている最中、激しい腹痛と吐き気に襲われた。トイレに向かおうと教室を出たはいいものの、たどり着くことも出来ず廊下のソファに倒れ込んでしまった。
生憎人通りの少ない場所だったし、スマホも教室に置いてきていたから、助けを呼ぶことも出来ずにただ横になっていた。
30分くらいした後、授業が終わって出てきたクラスメイトたちが、横になっている私に気づいてくれた。
何とか水を持ってきてもらったはいいものの、立ち上がれない。友人に肩を貸してもらって寮の部屋に戻ろうとしたが、階段をおりたところで力尽きて動けなくなってしまった。
エントランスの岩みたいなベンチで横になる私を、クラスメイトたちが心配そうに見つめていた。
次第に寒くなって身体が震えてきた。熱が出てきたのかなぁなんて当時の私はぼんやり考えていたが、どうやら傍から見るとほとんど痙攣のような感じで震えていたらしかった。
クラスメイト達が大量にパーカーを貸してくれたが、吐いて汚してしまわないかと心配で落ち着かなかった。
そうこうしている間に、先生が来た。
私の顔色の悪さと震えっぷりを見てか、救急車を呼んでくれた。持病とか飲んでる薬とか症状とかを聞かれた気がするけれど、頭が回らなさすぎて全く英語で説明出来ず、日本人の友達が訳してくれた。
そうして人生初の救急車に乗った。先生と日本人の子が付き添ってくれた。アメリカだから当然ではあるが、これまた全部英語で話しかけられるものだから何が何だかさっぱり分からず、また友達に助けてもらった。
私は腹痛=stomachacheとしか知らなかったためずっとこの単語を繰り返して、あとはジェスチャーで何とか意思疎通をはかった。
病院についてから、abdominal painと言った方が適切だと知った。
病院に着く頃には少し症状も落ち着いていて、これでこの腹痛が病気でもなんでもなかったらどうしようかなんて考えていた。あれだけみんなに心配されて、助けてもらって、救急車まで乗って、ただの便秘だったらどうしよう。そればかりが気になっていた。
でも本当に、何が自分の体に起きているのか分からなかったのだ。
今思えば予兆はあって、前の週くらいから体はだるかったし、微熱も出ていた。疲れが出てきているのかなと考え、気にしていなかった。
3日前くらいからそういえば全身に赤い発疹も出ていた。一瞬ギョッとしたけれど、チョコの食べすぎでアレルギーにでもなったのかと思い気にしていなかった。
食欲だっていつも通り旺盛だった。まあもともと体調がどれだけ悪くても食欲不振にはならないタイプなのだけれども。
それが急に異常なほどの腹痛に見舞われたのである。
持病こそあるもののそれ以外は基本的に健康体だったため、人生初の救急車に少し興奮しつつも何が自分の体に起きているのか不安だった。
母国語が通じない国で、うまく説明できなかったせいでヤバい薬投与されたらどうしよう、なんて不安もあった。
点滴をされる時も、すごく訝しげな目で見てしまった。実際、点滴のおかげで意味がわからないくらい体が楽になったので、こんなに効果があるなんてヤバい代物だったのでは…?と未だに少し疑っている。いやありがたかったけれども。
結果としてコロナとかではなく別の感染症に罹患していたことが分かったのだが、まあ生きた心地がしなかった。
脾臓や肝臓がウイルスの影響で肥大化しているから圧迫すると臓器が破裂して重症化するぞ、というようなことを優しめの英語で教えてもらった。
文法こそ優しかったけれど、言い方はほとんど脅しだった。
とにかく休め、無理するなと言われたため、入院したり出席停止になったりするかと思ったが、「3日間休め」と書かれた診断書を見て思いのほか短い期間に少しガッカリしたのを覚えている。
ともかく、こうして私の人生初緊急搬送は幕を閉じたのである。
この経験で1番学んだことは、保険のありがたみだった。
アメリカの救急車は意味がわからないくらい高い。
やっぱり保険は入っておいた方が結果的にオトクなのだ。
お金も大事だけど、何よりまずはいのちだいじに。
そう誓ったアメリカの夏だった。