『ぼくが13人の人生を生きるには身体がたりない。』を読んだ感想
haruさんの本『ぼくが13人の人生を生きるには身体がたりない。』を2回読んだ際の感想を、とりとめもなく書いていきたいと思う。(ネタバレを含みます。ご注意を)
haruさんは解離性同一性障害(いわゆる多重人格)、性同一性障害(FtM、心の性は男性)、発達障害などを抱えた方。haruさん(主人格)を含め、13人の人格が存在する。
Twitterを通じて知り、本を買うことにした。
ツイートを見ていたので、ある程度知っていたけど、改めて読むと知らなかったことが多かったし、とても勉強になった。そして、文章がとても読みやすいのがすばらしい。すばらしい本です!!
全体を通して
この本のほとんどが、交代人格によって書かれているということに、まず驚いた。よくよく考えれば、テレビに出たときも主人格haruさんはあまり出てこないし、haruさんが記憶をなくし続けていることを考えれば当然かもしれない。
私が今まで「多重人格」という人に抱いていたイメージは、凶暴だったり、乗っ取られる、だったりしていたけど、haruさんたちは非常に穏やか。性同一性障害、発達障害等を抱えた生きづらさと、圧の強い家庭で育ったこと、解離できるという器用さ(特殊能力)から交代人格は生まれたのかもしれないようだ。自分じゃないと思いたいことを他の人格に渡すことで、新たな人格が生まれるらしい。学校に行きたくないとか、女の子を演じたいとか、肩代わりしてもらっている。
主人格の演技をして生活しているという話は興味深かった。以前読んだことのある多重人格に関する小説『プリズム』も思い出しながら読んだ(こちらはいわゆる豹変する多重人格のイメージに近いが)。
先程上で書いていた、主人格が記憶をなくし続けてしまう問題、これこそが解離性同一性障害の生活のしづらさ、生きづらさなのだろう。人生の記憶が断片しかなかったら、生きるモチベーションを保つのも難しいのかなと思った。想像することもできないほど大変なのは明らかだろうな。
交代人格が持っている能力は、本当はharuさん自身の能力だということを考えればとてつもない能力である。文系も理系も、なんでもできる。努力を努力と思わないのもすごい。
各人格について
灯真くんは、唯一年齢がない交代人格らしい。交代人格の年齢というのは、交代人格が生まれたときのharuさんの年齢にほぼ依存するらしいのだが、年齢がないというのはどういうことなのだろうか?いつの間にか存在していたのか?灯真くんはもちもちが大好きというイメージがあったが、本では一切書かれていなかった。なにかあったのだろうか?
先程、交代人格は主人格の一部であるはずということを書いたが、本当に自分の一部なのかと不思議に思うこともある。悟くんは吃音を持っているが、多くの人格は吃音ではない。結衣ちゃんは、高専時代、女の子の心でいる必要があったから生まれた人格だが、haruさんの自覚している性は女の子ではない。そういうところも解離性同一性障害の特性なのだろうな。
交代人格の多くは年を取らないのも、2歳のときに17歳の人格洋輔さんがいたのも理解が追いつかない。やっぱり特殊能力なんだろうな。
ほかにいくつか
・性同一性障害のカミングアウト方法やTo Doのライフハック、フローチャートを用いて主人格を寝かせる方法、レンタルさんとの対談はなんとなくわかって面白かった。
・haruさんが交代人格を「自分」だと受け入れることで、統合されるかもしれないという話もあった。
・haruさん自身が書いた話で、生きづらさを砂袋にたとえているものがあった。砂袋に砂を入れているのは、多数派の同調圧力、他者との比較。砂袋に空気を入れて生きやすくするという考え方は参考にしたい。
・精神科医さんによる解説で、解離性同一性障害はそもそも精神障害ではなく特殊能力ではというのは(例えばバイセクシュアルが障害ではないように)なるほどと思う。
また思ったことがあれば更新していくつもり。
おわり