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人参嫌いな母にキャロットケーキをつくるお盆。


キャロットケーキ。
その、引力。

そういえば、作りたいな。
さも以前から作っていたかのような感覚で、無性に作りたくなった。

不思議なのは、キャロットケーキを「食べたくなった」のではなく「作りたくなった」こと。
いつもは「食べたい」が先行するのだけれど。

思い当たる節があるとすれば、母が人参嫌いであることだ。


常に人参のある食卓だった。
酢豚、チャーハン、カレー。

アボカドやクレソンが消えた食卓は想像できるけど、人参が消えた食卓は想像できない。
母のつくる食卓には、あのオレンジ色が欠かせなかった。


私の母は結婚してから料理をはじめた人間だ。父曰く、はじめは普通のカレーさえも不味かったそう。
その不味いカレーにさえ、本人が嫌いな人参は入っていたのだろうなと、私は味わったことがない母の不味いカレーを想像する。
(私の知っている母のカレーは、いつだって美味しい。)


キャロットケーキを作る。

まずは人参をきれいに洗って、皮ごとすりおろす。
大まかにいえば ①材料を混ぜる ②焼く というシンプルな流れだけど、こういう地味な作業が主題だったりする。
黙々と素材に向き合う作業が、お菓子を美味しくしている気がしている。


すりおろされて少しずつ小さくなっていく人参が、指の間から逃げ出そうとする。
あわててグッと指先に力を込める。見つめた手元の向こうに、子供のころの食卓が思い浮かんだ。


自分のお皿には人参なしのカレーをよそう母。そんな母を見て「子供みたい」と思った、子供の頃の私。

いつだったのだろう。
食卓に3種以上のおかずがいつも並んでいることに気がついたのは。
食卓を見渡して、そこから人参が消えたことはないことに気づいたのは。
少なくともそれは、子供を卒業した後の私。

つぎに、くるみを荒く刻んでおく。
ザクザクと小気味のいいリズムが耳に届くのが心地いい。
リズムの延長線上に、未来のキャロットケーキの香ばしい香りを見つけて、少しワクワクしてくる。


そういえば、母はよくスナックとしてくるみを食べていたっけ。
ソファに体を沈めて、手の届くところに食塩無添加のくるみを用意して、夜な夜なドラマを見ていた。

家族がほとんど自室にもどって、ようやく一日の家事から解放された母だけの夜時間。
足元にくるみが落ちても母がなかなか気がつかなかったのは、部屋が暗かっただけが理由ではないのだと、いまになって気づく。
いつもお疲れさま。ありがとう。

卵、薄力粉、バーキンパウダー、わずかなシナモンパウダーを混ぜ合わせる。
よく混ざったところで、すりおろした人参を加える。
薄い黄色の生地が、あっという間に人参のオレンジに浸食される。もう前には戻れないという恐ろしさを感じながら、私は焼く前の覚悟を決めていた。

人参のオレンジは、いつだって母の彩りだった。
それは酢豚の、チャーハンの、カレーの、ありきたりなおかずの彩りだった。

キャロットケーキを作りたくなった。
人参嫌いな母に。
あのオレンジで、母の色に染まっていないのは、キャロットケーキくらいだから。



「私はお菓子作れないのよ」
お菓子作りはとんとしない母。
私が唯一、台所で母を超えられるのは、昔もいまも、お菓子しかない。


「食べたい」
入り口はそこじゃなくて
「そういえば、作りたいかも」
これくらいの気軽さだった。


そう。そこなんだ。
私は母に、私のオレンジ色を見せてあげたいんだ。

生地に刻んだくるみとレーズンを入れて、さっくり混ぜる。
ゴムベラがボウルのなかを縦横無尽に滑る様子が気持ちがよくて、さっくりの加減を通り越してしまう。お菓子を作るときの、いつもの悩み。

ねっとりした生地を型に流し込む。
型におさまった生地を見て、ようやく生地の輪郭を見たとき、心はいよいよドキドキしてくる。

さあ、立派になるんだよ。
心の中でキャロットケーキを送りだす。

オーブンの温かい光が、その輪郭を拾ってくれると知っているから、私は2,30分の間、洗い物をしていられる。


キャロットケーキが焼き上がった。

「ふくらんでる!!」

オーブンの中で見事に成長した生地をみて、いつも新鮮な気持ちで驚くことができる私は、やはり母よりもお菓子作りに向いているのだと思う。

3種以上のおかずを用意し続ける母には、たぶんお菓子作りの魔法を信じ続ける余裕がなかった。
だから私が、日常に魔法をかける役目を担っている気がする。昔もいまも。


「おいしい。ホントにおいしい。」

切り分けたキャロットケーキをみて、そこに私のオレンジ色を見出す。
やさしい人参の香りと、シナモンの香りがたっている。
その香りごと、母はパクパクとキャロットケーキを口にしては目尻を下げて私を見ている。

キャロットケーキを作りたい。
キャロットケーキを食べてほしい。
あのオレンジを、私のオレンジにしたい。
私のオレンジを食べてほしい。


人参が嫌いな母に向けたキャロットケーキは、ちぐはぐだらけの我が家のお盆にぴったりだった。

母のためのキャロットケーキ

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