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ナラティヴ・セラピーにおける「足場かけ」の概念を探る
数あるナラティヴ・セラピーらしい用語の中で、今回は「足場かけ」という言葉について書いてみようと思います。
「足場かけ」という言葉は非常に便利で、ナラティヴ・セラピーに通じていない人と話すときでも、それほど意味が変わってしまうことなく相手に届くという安心感があります。
ナラティヴ・セラピーの用語を説明したあとに、「それって結局どういうことですか」と問われたら、「クライアントがもっと話せるように、足場をかけるということです」と答える。すると、非常に納得感があるように感じます。
ですが、便利な言葉、使いやすい言葉ほど、あらためて「それは何か」と問われると答えられなくなるような感じがあります。さきほどのフレーズをもう一度繰り返してみると、「足場かけ」は、「クライアントがもっと話せるようにするためのもの」ということになりますが、具体的には何をすることなのでしょうか。
「足場」から連想されるもの
「足場」と耳にしてまず思い浮かぶのは「梯子」ではないでしょうか。足場かけを「梯子をかける」と読み替えた場合、イメージされるのは、「すでに上にいる者が、下にいる者に向かって梯子をおろす」というような光景です。
この光景をセラピストとクライアントの会話に当てはめてみると、すでに治療的な会話の方向性を知っているセラピストが、その方向に進めるようにクライアントを導くというようなイメージになります。梯子は丈夫で、いったん梯子につかまることができれば、あとは登るだけです。
セラピストは、梯子を支えながら、上まで登れるようにクライアントを励まし続けます。ここにあるのは、「導く人」と「導かれる人」という構造です。これもひとつの治療的な関係ではあると考えますし、クライアントの状況によってはこのような関係性が救いとなるときもあるでしょう。
私の経験上、最初はこのような関係性を築くことで、クライアントが落ち着いて生活できるようになる、という事例はいくらでもあるように思います。「ここを登れば上にいける」という安心感が必要なときもあります。
ただし、この「梯子型」の関係性は、一時的には効果的ですが、長期的にはクライアントの力を奪うリスクがあることを心に留めておかなくてはなりません。
梯子型とボルダリング型
「足場」になるようなものが他にないだろうかと考えてみると、ボルダリングの足場が思い浮かびました。
ボルダリングの足場は、上からおろすことはできません。これをセラピストとクライアントの会話に置き換えてみると、きっと横並びで、お互いに声を掛け合いながら、上を目指していくのだと思うのです。
ボルダリングの足場はたくさんあり、ひとつずつ形や大きさが違っています。次はどれに足をかけようか、どの足場が安定感があるだろうかと、お互いの表情が見える距離で相談しながら上を目指していくイメージが浮かびました。
「ボルダリング型」の関係性は、ぐいっと引っ張ってもらえるような感覚は持てないかもしれません。でも、常に隣にはセラピストがいてくれて、ひとつひとつの足場を踏む感覚を一緒に確認しながら登っていけるのではないでしょうか。
「ちょっとこわい」「上まで行けそうもない」という声もかき消されることなく、同じ「こわさ」や「行けそうもない感じ」を一緒に体感してもらえる心強さがありそうです。
そして、上まで到達したとき、「確かに自分の力で登ってきた」という感覚を得られそうなのは、この「ボルダリング型」であるような気もします。
ナラティヴ・セラピーの文脈で使われる「足場かけ」は、どちらかといえば、この「ボルダリング型」であると思います。ひとつひとつの足場を踏む感覚を共有し、クライアントだけに登らせるのではなく、セラピストが隣にいて、一緒にこわさや苦しさを味わいながら登っていく。それが「足場かけ」に大切な姿勢であるように感じました。
足場かけと外在化する会話
マイケル・ホワイトの『ナラティヴ実践地図』の目次は、
外在化する会話
再著述する会話
リ・メンバリングする会話
定義的祝祭
ユニークな会話を際立たせる会話
足場作り会話
という順番になっています。
なぜこの順番になっているのか、と考察してみると、そこには何か意味がありそうです。特に注目したいのは、「外在化する会話」に始まっているところです。
ナラティヴ・セラピーの会話は、すべてが外在化であるのだと思います。外在化さえしていればナラティヴ・セラピーである、ということでは絶対にありませんが、外在化がなければ始まらないのがナラティブ・セラピーであるように感じています。
外在化は、ナラティヴ・セラピーにおける会話のテクニックのひとつであるかのように語られがちです。しかし、ナラティヴ・セラピーの中で外在化が担っている役割は、会話を続けていくための絶対的な前提条件であり、会話を始める前に整えておくべきセラピストの姿勢であると、私は考えています。その点から言って、外在化が目次の最初にあるのは、非常に納得できるところだと思います。
ナラティヴ・セラピーは外在化に始まり、外在化が意味しているのは、会話に臨むセラピストの姿勢である。その意味で、『ナラティヴ実践地図』の先頭を飾るのは、外在化以外にありえないのです。
その後に続く目次は、再著述、リ・メンバリング、定義的祝祭、ユニークな会話、となっています。この4つは、どの会話でも、常に登場するのかと問われると、「そうは限らない」という回答になるのではないでしょうか。クライアントの持ち込んでくる話題に合わせ、再著述になるのか、リ・メンバリングになるのか、定義的祝祭なのか、ユニークな会話なのかはカスタマイズされるようなイメージがあります。どれかひとつだけ、というわけでもなく、2つ以上が組み合わされて会話が組み立てられることも多いのではないでしょうか。
スタートは必ず外在化であり、その次にくるものは、クライアントの状況による。そのような理解ができるような気がしています。そして、外在化に始まり、その後の、再著述、リ・メンバリング、定義的祝祭、ユニークな会話を組み合わせて会話を続けていくとき、そのすべては足場かけなのだと思っています。
ナラティヴ・セラピーの会話で、常に行われているのが足場かけなのです。外在化をはじめ、再著述、リ・メンバリング、定義的祝祭、ユニークな会話、どれをとっても、足場かけをするための土壌を作るものである、と理解できるような気がしています。
ナラティヴ・セラピーの会話は、どの瞬間を切り取っても「クライアントがもっと語れるには」「クライアントがこの場でしか語れないところを語るには」というセラピストの働きかけと粘り強さがあります。すべてが足場かけにつながる、その点で、『ナラティヴ実践地図』の最終章は「足場作り会話」になっているのではないでしょうか。
質問(問いかけ)によって足場をかける
デヴィッド・パレの『協働するカウンセリングと心理療法』p329に、以下のような記述があります。
ヴィゴツキーは、学習を個人が達成したものとはせず、社会的な協働の産物であると考 えた。(中略)このような質問は、そのときのその子が一人ではなしえなかった概念的 な飛躍を手助けする。ホワイトはこのような飛躍を、最近接発達領域における「なじみ のものごと」から「知り得るものごと」への動きであると言う(p271)。質問によって学習を支援する「足場かけ」が提供されることで、この動きは促進される。こうしたヴィゴツキーの理論は、高いスキルを要するカウンセリングの会話にも応用可能である。なぜならカウンセラーはその会話において、クライエントと協働しながら、(a)クライエントが新たな学習をしていけるような促しを、(b)いまの立ち位置においてクライエントが引き出せる知識をもとに行い、(c)新しい可能性に向けて動くことを目指すからである。クライエントに影響を与える過程では、質問こそが動きを促進する足場かけの重要な手段となるのである。
ナラティヴ・セラピーの会話では、常に足場かけが行われています。セラピストの姿勢、態度、言葉づかい、すべてはクライアントがもっと豊かに語れるようにするためのものです。
その中で、もっとも大きな役割を果たしているものが、質問(問いかけ)ではないでしょうか。セラピストの姿勢や態度、言葉遣いは、足場に安心して足をかけられるようにするためのものであるのに対して、質問は、まさに「足場を作る」ことにつながるような気がするのです。
上記の引用部分にもあるように、「質問によって学習を支援する」という視点が非常に大切だと思っています。「学習」というと、日本語のニュアンスだと違うものが混ざってくるようにも感じるのですが、要するに「問われることではじめて考えられること」、もっと言えば、「問われなければ考える機会のなかったこと」をいかに考えていただけるかが、カウンセリングの会話では重要なのです。
新たな知識に光が当たる
問われたことにより考えることができた内容は、クライアントにとっての新たな知識となります。その知識はきっと、これまでずっと知っていたはずなのに、スポットライトの当たって来なかった部分とも言えます。
陰に隠されてきた知識にスポットライトが当たったとき、ボルダリングで言えば「まさかここを足場にできるとは思わなかった」場所に足をかけられる感覚に近いのではないでしょうか。
かけられるとは思っていなかった場所に足がかかったとき、今までとは違う景色が見えるでしょう。ここで、ボルダリング型の関係性だと、思いもよらない足場を得たクライアントの表情や驚きを見逃さずに、一緒に味わえるような気がします。
セラピストの質問は、「ここに足がかけられそうではないですか?」といろんな足場を探るようなものなのです。セラピストがあきらめさえしなければ、足がかけられそうなところは無数に見つかるように思います。根気よく、「こっちはどうですか」「こっちの方が行きやすそうですか」と質問によって足場がそこにあることをクライアントに示し続けることが、セラピストの重要な役割だと思います。
思いがけない足場を得て、そこにスポットライトが当たったとき、おのずとその周辺にも光がさすような気がしています。自分の中にこんなものがあった、こんな知識を持っていたんだと気づく。それは、「足場がかかる」以上の感覚として、クライアントに知覚されるのではないでしょうか。