きわダイアローグ04 芹沢高志×向井知子 4/6
4. 生活することへのまなざし
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向井:(2020年)11月にも再度取材がてら、以前撮影した北九州市のエコタウンに行って、風力発電やビオトープに携わる現場の方たちのお話を伺いました。そのあと、京都の比叡山にも行ってきました。
2019年に、高野山に行ったときは空気がとても張り詰めていて違和感があり、ずっと緊張していて、眠れなかったくらいだったんです。空海は、立体曼荼羅を手掛けた人ですけれど、街自体がすごく3Dで、ヴァーチャル・リアリティを見ているような感じがしました。ちょっと空気が変わる場所があっても、気が流れているというよりは張っていて止まっているような、必ずしも気持ちよかったとは言えませんでした。空海という人は、イメージすることが実装化されること、現実化される可能性を信頼していたんだろうなと思ったんです。実際に想像が良い意味で現実を追い越してしまうこと、また、その逆もありうるんだろうなと、想像の仕方でいくらでも現実のありようが変わってしまうような怖さを感じました。一方、今回訪れた比叡山に対しては、歴史的にいわゆる焼き討ちの怖いイメージもあるので、これまであまり興味を持っていなかったことと、何かと空海という人の描かれ方がすごくダイナミックだからか、最澄はその対比としてしか見ていなかったところがあったんです。しかし、今回の取材では、10代の頃に比叡山で修行をされて、今は仏教やインド学の研究者でいらっしゃる京都文教大学の手嶋英貴先生に、比叡山と、麓にある門前町の坂本を案内していただきました。手嶋先生はドイツでインド学を学ばれており、ちょうど1年前に、ドイツ関係の集まりでレクチャーをしてくださったのが非常に面白かったんです。それで、お会いしてお話を伺いたいと思って、足を運びました。これまでの話と少し関係するのですが、比叡山は素晴らしくて、行ってよかったなと思っています。
比叡山では、山から門前仲町を通って琵琶湖まで、あらゆるところに水路が巡らされていました。それは生活水でもありますが、無意識のところに、山から町へ、そして琵琶湖へというつながりがあるんですね。
比叡山は京都の鬼門と言われていますが、実は琵琶湖側が表で、元々湖岸に大津京が栄えていて、あとから反対側に平安京ができて1000年も続く都がつくられたという話や、琵琶湖の向こう側は渡来人の交流の場所であった敦賀であるという話、最澄自身は坂本の生まれの人で、人里離れた比叡山に篭ったところ、お弟子さんたちの取り組みもあって文化の集積としての山になったという話をしていただきました。高野山は地形を須弥山に見立てて閉じられた空間に構築された完全に人工的な街ですが、比叡山の場合は時代ごとに、必要に応じて山の斜面に、なんとか自然と折り合いをつけるようにお堂を建てている。だから、街があるわけでもなく、山全体のあらゆるところへ行けるような、たくさんの険しい道が膨大な労力をかけて切り拓かれてきたのだそうです。つまり、1個の場所に集積している何かというより、山に添って辿る、移動する場所をつくってきたことに面白いと思いましたし、空気がちゃんと流れていると感じました。
比叡山の上まで登ると、琵琶湖が見えるんですね。「向こうが熊野です、向こうが伊勢です」と教えていただいたのですが、地形的にそのように見渡せる場所はあまりないじゃないですか。そういった世界との触れ合い方というか、自分の立っている位置の確かめ方がすごく印象に残りました。それから、八王子山の奥宮や千日回峰行の根本道場である無動寺明王堂といったものは、坂本の街から見えるんです。それは、山からのまなざしであり、こちらからも拝むことによるまなざしがある。見る「未満」のものだけれど、お互いの間にはまなざしの何かがあるというお話を伺いました。それはすごくいいなと思ったんです。想像を誘発するトリガーみたいなものなんでしょうけれど、あそこで何かがあるという予感みたいなもの。ただの山ではなく、文化として集積がそこにあるという可能性の目印。それらは描写されているのではなく、サインとして、お山と人の暮らしとのインタラクションがある感じがしました。坂本の町は、グリッドで構成されているのですが、曲がり角が少しずつずらしてあるそうなんです。ずっと先までは見通せないようになっていて、角を曲がると景観がガラッと変わり町の見方も変わるわけです。それと、町のどこにいても、先ほどお話しした水路の水の音が絶対に聞こえるんです。暮らしている方にとっては日常でしょうけれど、常にそのつながりを人が体感している。ああだこうだと説明しているのではなく、五感を開きながら、相手を、お山を、その場所を感じている。それによって、自分の所在もまた確かめて、あちらを確かめるみたいなことが、素晴らしいなと思いました。
北九州ではビオトープ、風力発電所などに取材に行きました。人がテクノロジーを使い、自然との共存のために風力発電や太陽光を開発するなかで、勝手に、絶滅危惧種であるベッコウトンボが棲みついてしまった埋立地が、現在ビオトープになっているのです。施設の方からは、これだけ複雑なものが混在して、一つの風景のなかで見れる場所はないという話などを伺いました。印象に残ったのが、ビオトープ、風力発電所でお話を伺ったそれぞれ若い方たち。ビオトープの職員のお一人は、高校生の頃から、そのビオトープの調査をされており、風力発電所の風車のメンテナンスを行っていた技術者の方のお一人は、中学生の頃、風車が建設されていくさまをリアルタイムで校舎から見ていたそうで、そのような方々が大人になって、それらの場所で実際に働いている。要は、日常の見える場所にそれらがあったんですね。あれは何だろう、どうやって動いているんだろうと、そういうことを日常のなかで見ていた。それも、一つのトリガーだと思うんです。それ自体が何かはわからなくとも、関心や疑問の所在が、サインとして日常のなかに見えているかどうかは、とても大きいと思います。今、リモートで仕事ができるようになり、それはそれでいいことなのだとは思いますが、仕事をしている場所が見えないですよね。場所がないということが、これからどういった影響を与えていくんだろうと思うんです。この方たちは、自分たちの生活は何で成り立っているかを見ていたから、疑問を持って、今の場所で働いている。そういうことが見えず、労働の場所を持たないで働くことが当たり前になったときに、どういうふうに社会が変わっていくんだろうなと思っています。取材として、比叡山の険しい山道を歩いたり、そういった方々に直接お会いしたり、実際に移動して物理的な場所に立ったりすることで、初めてわかることもあると改めて実感しました。
芹沢:実際の物理的な空間と切り離されて、一歩も外へ出ていかなくとも、今の世界では、人とつながっていると思えてしまうし、生きていけてしまいます。実際には幻想なのかもしれませんが。全部オンライン上で成立し、好きな場所に移動しながら仕事ができるというのは、一見憧れるようなことだとは思います。でも、すごくいやらしい言い方をすれば、たかだかその程度、頭と口とで処理している程度の仕事なんだとも思うんです。ある場所まで行って、肉体を使って働かなくてはならないエッセンシャルワーカーの人たちに対して、今の風潮では、優秀な大学を出ていなくてもなれるという思い込みみたいなものがありますよね。残念ながらそういう状況があり、彼らは給与水準もすごく低くされています。電話一本で高額の収入を得たり、ボタン一つでお金を移動させることで何倍にもお金を増やしたり、それらはすごい才能だと言われています。しかし、生き物としての充実感や生きている実感などを考えると、人間の労働としてどうなのかなと最近ますます強く思うんです。こういう状況では、当面は非接触で、移動を制限することで、オンラインに比重が高まるだろうし、それを補完する技術や進展も儲けるチャンスなので、多くの人が置き換えていく。社会としても促進する風潮があると思いますが、後戻りできないほどの一線を超える致命的な欠落が出ないといいなと願っています。生き物として生きていくうえでエッセンシャルな何かを、人間たちが欠落させてしまうとなると、僕には、あんまりいい未来が思い浮かばなくなってしまうんだよね。
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