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きわダイアローグ11 齋藤彰英×向井知子 2/3

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2. 自然・生命の感受の仕方

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向井:わたしは、何かが生まれるかもしれない予兆、萌芽の瞬間は感受できるのか、ということに興味を持っています。学生の創作や思考の過程に授業で立ち会ってきたなかでも、自分の制作でも、そのことがますます重要になってきているんですね。そういう、本来なかなか明確な言葉にしづらいこと、形にもならないことも途上に表現をもっており、作品ではなくとも何か体験・共有可能なものにしていくことは、表現活動をしている人にも、そうでない人にとっても大切だと思っています。自分の制作、他の人たちとの協働、授業で何かが立ち上がってくる瞬間に出会ってきたこと……。活動や思考について将来的には書籍などにまとめていきたいと思っているんですね。きわプロジェクトでやってきたことが何かになっていけばいいなとも。それもあって「まだ言葉になっていない言葉を溜める」ということは大切だと考えています。まだ形を現さないものやことがらに対して、書いている言葉だけでなく、話している言葉も残したいですし、非言語的な思考や体験の断片も残したい。自分自身においては、今はいわゆる映像作品をつくっている段階ではなく、言葉にならないものの言語化していく作業と、よく分からないけれど、ぐじゅぐじゅと手を動かしている作業をするべき時期だと思っています。また、そう考えるなかで、今度はどちらかというと自分がダイアローグパートナーになって、人と話しながら手を動かすと、何がどのように立ち上がりうるのだろうと。

そのような経緯があって、齋藤さんに「ダイアローグをしてみませんか」とお話したんです。齋藤さん自身は「写真を映像(動画)にしてみたいという気持ちももっている」「自分の今の立ち位置や場所が、どういう状況かを把握するためにつくっている」と話されていましたよね。それを聞いて「何か一緒につくってみませんか」とお誘いしたんです。加えて、単純に齋藤さんのつくる地層に埋もれたいと感じたことも、協働したいと思ったきっかけです。今はまだ漠然とした想像があるだけですが、どっしりと重量がある齋藤さんの映像に対して、わたしたちがそれぞれ手を動かした「何か未満」のもので生成されていくインスタレーションは、木の葉がプカプカ浮きながら堆積していくようなたわいもない収拾のつかないものではないかと思っています。

わたし自身が風景を撮るときやものをつくっているときには、風景の中に自分はおらず、眺めている側にいる気にがするんです。それに対して、齋藤さんは自身の身体の重量で、土壌の中にもぐって息を吐いているように見えます。自分の身体の中にある土壌を探している感じがするんです。

「東京礫層」(2021年)
齋藤彰英
iwao gallery、東京

齋藤:うん、そうですね。

向井:「絶滅から考えて、今このときにわたしたちは何を残すのか」という話をしたときも「消え方ですよね」と話されていましたよね。その言葉と齋藤さんが撮影をされている姿から、周りの土壌の重さと自分を同一化している感じがすごくしました。

齋藤:自分の中にある土壌なり何なりの重さを、外の景色に探している感覚はすごくありますね。そうやって景色の中に溶け込むことで、自分の物質性、土壌のようなものを探しているというか……。

向井:この間話した際も「生命としていつか自分が消えてしまうかもしれない」という、「土化していく自分」みたいなものをすごく感じたんです。

きわプロジェクトの中では「自然・生命の感受の仕方をいろんなもののきわを眺めることで探る」ということも考えています。個々と個人の身体性は本当はつながっているはずなのに、途方もなく遠い。本当はつながっているのに、つながっていると分かるのは難しいですよね。そういうことごと、異なる位相は、きわに立ったときに接触することができるのかという実験をしているのだと思います。

齋藤さんの作品を見たときに、身体自体を風景の中に探していることが分かりましたし、かつ、その中に自分自身が埋もれていくような感覚がありました。だから、映像にその重みをもたせて、インスタレーションはプカプカしているといいのかなと思ったのかもしれません。それから地理的な位相とは一緒ではなくても、インスタレーションの中で出っ張っているものと埋もれているものが逆転しているといった表現できたらいいなと思っています。東京で言うと、高尾山の小仏峠は今では山の上ですが、1億年前の陸と海溝の間で形成された地層が見えているでしょう。そんなふうに、本来は下にある、埋まっているものや重いものが高いところにあったり、逆に、これから生まれるような軽いものが下にあったり……。わたしもまだうまくは説明できないのですが、齋藤さんと何かをつくるときには映像が埋もれている感じにしたらいいのではないかと考えています。わたしが2021年に東長寺の文由閣で展開した「きわにふれる」の作品を芹沢高志さんがご覧になったとき「洞窟みたいだな」とおっしゃっていたけれど、わたしもあそこは土の中だと思っているんですね。その最も深いところに、いちばん軽い芽みたいなものがふっと出ているような感じにできたらいいなと考えています。

齋藤:そのイメージは分かります。パノラマ状の空間を満たす映像が、ある質量というか重さをもって空間を圧迫していく。地殻のようなプレートのこすれによって中心に向かって引っ張ることで、空間を取り巻く圧を持たせるわけです。そうやってグーッとゆっくり重々しく圧迫していく映像になるといいなと思っています。ただ、そうやって圧迫していくなかでも、空間の中心のところには、軽やかさがつくれたらいいんじゃないかなとも考えています。

向井:すごくいいと思います。

齋藤:そのために水辺に関わるような形で、これからリサーチや撮影、収集をしていくのだと思いますが、広域でいろんなところに行くのがよいか、どこかの河川に限定したほうがよいのか迷っています。……でも広域に行かないと圧力が生み出せないかもしれないですね。

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