映画ポスターのイラストレーションなどについて質問に答えました
達朗さんの作品の哲学やアプローチを教えてください
クライアントワークでありコミュニケーションであるイラストレーションということで語るならば、まず伝わることを目指しています。
伝わるとは、コンセプトや感情など目に見えないものではなく、花や花瓶や人や犬など、画面に描かれているものが大部分の人が見てすぐわかるという意味です。
そして、これがいつも自分で実現できているとは全然言えないのですが、伝わることを確保した上で、今まで誰も見たことのないような、一目見て息を飲むような構図だったり配色だったり造形だったりする絵を目指しています。そういう意味で面白い絵を目指しています。
見た目が大事です。いくらコンセプトが優れていようとも、見て面白くなければその絵が成功したとは言えないと思っています。そのためには明度の組み立てが重要と考えています。
あなたのイラストレーションは、どの程度リサーチし、どの程度観察し、どの程度コンセプチュアルな作業をしていますか?何が一番重要ですか?
どれが一番ということではなく、どれも重要だと思います。リサーチ、観察、コンセプトは相互に支え合っていると思うからです。
どの程度と訊かれると答えるのが難しいです。どれも可能な範囲でできるだけ、という答えになるでしょう。資料はできる限り集めますし、描こうとしているモノの構造を理解するために観察することはとても大事と思っています。想像だけで描くことはない、というか僕は描けないタイプの人間です。
最初の質問で、見た目が大事であると答えましたが、コンセプトが大事でないという意味ではありません。コンセプトは先に述べた面白い絵を作るための重要なきっかけになります。何もないところから、息をのむような構図などを思いつくことはできないからです。
あなたの作品は、とても幅広い芸術性を持っていて、豊かな想像力から生まれる独創的なアイデアが感じられます。あなたのクリエイティビティの源泉は何ですか?そして、インスピレーションを探さなければならないと感じたり、作品に異なるアプローチをしなければならないと感じたりした時期はありましたか?
つまらない答えかもしれませんが、オンラインで見ることのできるいろいろな画像ではないでしょうか。
それはアーティストやイラストレーター、デザイナー、写真家などの作品であることが多いですが、一般の人がブログなどに投稿している画像も大いに当てはまります。もちろん展覧会へ行って実際に見る作品も忘れてはいないです。
インスピレーションが必要と感じたときも行くところはオンラインですし、あとはeBayで古いガラクタを毎日チェックしています。それらの古いガラクタがまとう雰囲気が自分の作品に影響していることは確かだと思います。
それからもう一つの重要なインスピレーションとなっているのはゲームです。
ドローイングを学ぶことが、当時のあなたにとってまさに必要なものだったと信じていますか?それとも、アーティストとしての形成に不可欠だと考えていますか?あるいは、こう言い換えましょう:アーティストとしてのあなたに新しい世界を開いたのは誰、または何でしたか?
僕は生き物が好きだったので日本の大学で生物学を専攻していたのですが、あるときから自分には生物学を追究する能力が無いと感じ、もう一つの好きだったことである絵を描くことに方向転換しようと考えました。
そして自分なりに描きためたイラストを出版社に持ち込んで営業していました。編集者たちからは概ね肯定的な評価をもらっていたのですが、ある著名なアートディレクターから基礎ができていないことを指摘されました。たしかに僕は絵の基礎を勉強したことが無かったので当然といえば当然です。
このことがきっかけで本気でアートの勉強をする決心をしたのです。ふたたび日本の大学を受験するのは面白くないと思いましたので、アメリカへ行って絵の勉強をすることにしたわけです。それがあって今の自分がありますので、そういう意味では、ドローイングを学ぶことはとても重要と考えます。
生存しているか亡くなっているかに関わらず、あなたが最も尊敬するイラストレーターは誰ですか?そしてその理由は何ですか?
一人に絞るのは難しいのですが、N. C. Wyethを挙げます。彼のイラストレーションは僕の原点だと言えるからです。彼の仕事を初めて知ったのはアートセンターで勉強していた頃で、クラスの課題で彼の絵を模写するというものがありました。もちろん彼から直接教わったわけではありませんが、彼の絵から明暗と構図による物語の伝え方の根幹を学んだと思っています。
ただし、述べておかなければいけない大事なことは、それらは勉強していた当時にすぐにピンときたわけではなく、イラストレーターとしてのキャリアを積むうちに後からわかってきたということです。
イラストレーションのスタイルは、視覚的な制約というよりも、むしろ態度だと思いますか?
基本的には態度であると思っていますが、スタイルは行き過ぎると視覚的制約になり得ると考えます。独りよがりなスタイルはコミュニケーションを阻害すると思うからです。
あなたはイラストレーターであり、画家でもあります。線と色、どちらが先に浮かびますか?
僕は圧倒的に色、というか線ではなく面で考える人間だと思っています。ドローイングよりペインティングのほうが得意です。
映画館に足を運び、その映画を観るきっかけとなった最初の映画ポスターは何でしたか?
当時小学生だったので母に連れて行ってもらってのですが、たしかJAWSだったと思います。
あなたの好きな映画のポスターは何ですか、そしてあなたがポスターを作れるとしたらどの映画を選びますか?
実は僕は映画について全く詳しくないので、好きなイラストレーターを挙げるように好きな映画ポスターを思いつくことができません。知っているポスターの数が少ないということになりますが、その中でイラストレーター的な観点から挙げるとすれば、Robert McGinnisによる『007 黄金銃を持つ男』です。
同じような理由で、ポスターを描きたかった映画というのは特にありません。仕事は依頼された仕事が常にやりたい仕事なのです。
どんな映画を人に薦めますか?
僕はあまり映画を見ないので、人に映画を薦めることはめったにありません。でも、画家やイラストレーターはよくオススメします。
それでは、あなたが最もよくオススメする画家やイラストレーターは誰で、その理由はなぜか教えていただけますか?
イラストレーションを教えている立場で言いますと、生徒によく画家やイラストレーターを推薦することがあります。そのとき佐々木悟郎さんをよく挙げます。彼は僕のアートセンターの先輩で、透明水彩による表現を得意とするイラストレーターです。透明水彩を使って絵を描く生徒がいつも数人いますので、彼のYouTubeチャンネルを見るように勧めています。彼のクラフトマンシップ、制作プロセス、ブラシの使い方などはとても参考になると思っています。日本ではイラストレーションの制作にデジタルではなく、伝統的な画材を使っている人がまだたくさんいるのです。
他には、日本ではあまり馴染みのないカテゴリーになりますが、コンセプチュアル・イラストレーションの話をするときにはAlex NabaumとEmiliano Ponziを挙げています。コンセプチュアル・イラストレーションがどんなものなのか説明するのに、彼の絵が非常にわかりやすく、クオリティが高いと考えているからです。
ドローイングとしては、どんな線を描くべきなのか案内するのにはEgon Schieleの作品を見るように勧めています。陰影を付けないシンプルで潔い線は、イラストレーターとしてモノの形をよく観察してドローイングする練習にとても参考になると考えているからです。
小津安二郎の『お早よう』のクライテリオン版のあなたのカバーアートでは、二人の少年が父親にテレビを買ってもらえないために無言の抗議を始め、コミュニケーションが必要な時にはパントマイムに頼らざるを得なくなるという、映画のテーマの一部を巧みに表現しています。また、あなたのポスターは幾何学的に配置された室内で、私たちの視線が遠景に向かうのを抑え、キャラクターに焦点を当てています。これは小津の映画の多くのキャラクターが遠くを見つめることが稀であるのと同じです。映画ポスターが映画の内容や意図に忠実であることは、どれほど重要でしょうか?
ポスターは最も好きな仕事の一つですが、映画のポスターはかなり難易度が高いと思っています。というのも、映画自体が映画監督のビジュアル作品なので、人の絵を自分の絵として描くような難しさがあります。
例えば、ピカソの展覧会のポスターを自分のイラストレーションで制作するような気持ちと言ったら良いでしょうか。ピカソの展覧会ポスターはやはりピカソの絵がフィーチャーされるべきでしょう。
同じように映画も監督の作品と考えると、映画の中から主人公やシーンを切り取ってポスターに使う方が理にかなっているように思います。
ところが個人的には、イラストやグラフィックで表現された映画のポスターのほうが写真より好みです。それはたぶん自分がイラストレーターだからかもしれません。
それで、映画をイラストで表現する場合、映画を見て感じた自分の解釈をどれくらいそこに込めるかは悩むところです。
そこで僕が設定している一つの基準としては、できる限り自分の解釈を入れないようにするということです。これは自分が理解したと思っている映画の意図も含みます。なので、例えば主人公の気持ちを想像したり、裏側の意味を読み取るなど目に見えない情報を表現しようとするのではなく、あくまで目に見えている情報だけを元にビジュアルを構成するように心がけています。
かと言って、映画の一場面をそのままイラストにするのは面白くないという問題は残ります。画面を何らかの形に再構成しなくてはいけないと考えます。しかし、監督は明確な意志を持ってスクリーンを構成しているわけですから、自分が再構成したことで作品を壊すことにならないか、それが心配です。そこが映画ポスターの難しさだと思います。
それを踏まえた上で、良い映画ポスターとはどのようなものでしょうか?
やはり一目で目を引き、その映画を見たいと思わせるようなポスターではないでしょうか。そのためにはシンプルで力強く太いことが大事かと思っています。これは映画ポスターだけでなく、ポスター全般に言えることだとは思いますが。
絵本の仕事もされていますね。子供の頃は、言葉とビジュアルのどちらに惹かれていましたか?
僕は読書が好きな子供ではありませんでした。ですので、ビジュアルだけに惹かれていたと言っても過言ではありません。
別の人が書いた絵本の文章に絵をつける際の最大の課題は何ですか?映画ポスターのデザインと同様に、物語に導かれてイラストを描くのでしょうか?しかし、本の場合は異なります。読者のために、書かれた言葉を超えて想像力豊かな空間を作り出すことも同じように重要ではないでしょうか?
ポスターと絵本の違いは、前者は一つの絵であるのに対し、後者は二十点近くの連続した絵を描かなくてはいけないことです。
他の人にとっても同じかどうかはわかりませんが、僕は一枚の絵に全力で集中することを好みますので、連続した絵を多数描くこと自体が難しいと感じています。
その上で、別の人が書いたお話に絵を付ける場合、必ず自分にとっては描きにくいシーンに遭遇します。これを乗り越えるのがまた難しいです。
文字を超えて、読者のための想像上の空間を本の中に作り出すことはとても重要ですが、果たして自分はそれができているのかどうか自信がありません。極めて独創的で想像力豊かな絵は自分には描けないと思っていますので、その分、絵で全てを説明しきらずに、読者に想像の余地を残しておくよう心がけています。
これは絵本にかぎらず、自分にとってはどのイラストレーションも同様です。
百聞は一見にしかず。アラン・ドロンを描いたあなたの肖像画を思い浮かべると、俳優の印象的な役柄と同様に、感情や気持ちを表現するには言葉が役に立たないことが何度もあったと思います。アラン・ドロンについて、少しお考えを聞かせていただけますか?
最近はあまり映画を見なくなってしまったのですが、中学生や高校生だった頃はよくテレビで放映されていた映画を見ていました。両親がよくその番組を見ていたので、その影響なのですが、その頃自分にとって映画スターといえばアラン・ドロン、ポール・ニューマン、クリント・イーストウッド、スティーブ・マックイーンでした。アラン・ドロンはその中でも最もハンサムな俳優という認識でした。彼の映画で一番印象に残っているのはやはり『太陽がいっぱい』です。僕が一番好きだったのはポール・ニューマンでしたが。
日本には映画のチラシというものがあって、中学生の頃、チラシを集めることがはやっていました。チラシは近日公開予定の新作を宣伝するために映画館で無料で配布されていたものです。コレクションの対象となっていたので、古本屋などで販売もされていました。新作映画のチラシは当時20円だったので中学生でも買えました。古い映画のチラシは当然レアなので、値段も高く数百円から数万円しており、クリント・イーストウッドのダーティハリーなどは垂涎の的でした。当然高くて買えませんでしたが。
そんな中アランドロン主演の映画のリバイバル公開用のチラシが比較的安く入手できたので持っていたことを覚えています。アラン・ドロンのポートレートの絵は、そんな当時の記憶を辿りながら、自分の中にあるアラン・ドロン像を描いたものです。ハンサム故に似せるのが難しかったと思います。
映画のチラシとポスターは基本的には同じデザインだったので、そういう意味では僕は若い頃たくさんの映画ポスターを見て来たと言えるかもしれません。
Interview by Ada Pirvu
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