【人でなしの女】(1923仏)cf『巨人と玩具』人間群像劇
世界的名声を得ていた前衛的歌姫クレール。彼女は名士たちを思いのままに隷属させようとする。
ある夜、ノールセンという若者が招かれるが、徹底的に冷たくあしらわれた彼は自殺を図ってしまった・・
それでも舞台に立ったクレールは血も涙もない人でなしの女だと 世間から非難されることに。
ところが・・・
観たのは86年のモノクロ着色サイレント(ピアノBGM有)
公開当時その前衛的な映像のため、公開時のパリの映画館では観客が騒ぎ批評も二つに分裂、世界中の人々を驚嘆させながら公開中止の憂き目にあい幻の映画となった曰くつき。
邦題の響きが素晴らしい。当時見そこねた人は半世紀以上にわたって視聴できる手だてがなく念願叶わず視聴出来なかった方も数多くおられると思う
(ここからネタバレします)
徹底的に冷たくあしらわれたノーセンは自殺を試み、それでも舞台に立ったクレールは血も涙もない人でなしの女だと 世間から非難されることに。
ところが歌姫クレールがノーセンの死体を確認しに研究所へ行くと、死んだはずのノーセンが現れ、自分が発明したという、歌声を全世界に届ける機械を見せた。
リサイタルののちノーセンのもとへ向かったクレールであったが、嫉妬にかられた元恋人の男の計略で毒蛇に噛まれてしまう。
ノーセンは自身が発明した機械で彼女を生き返らせ、クレールは真実の愛に目覚めるのだった。人でなしと思われた歌姫クレールも、実は情に厚いひとりの女性だった。
【巨人と玩具】
虫歯だらけの一人の女性が製菓会社の宣伝マンに見いだされアイドルに仕立て上げられ、たちまちスターダムへとのし上がっていく。
彼女が売れるにつれ、彼女を売り出す為に奔走した若き広告マンとの距離は離れていくことに・・・。
それは現代を牛耳る巨人(マスコミ)と巨人に踊らされる可笑しくも哀れな玩具の関係
大スターとなり煌びやかな違う世界に棲むことになる女性と、ごく普通の広告マン男性に、もはや接点など存在しないのである。
この2つの映画は、まさに対極するストーリー展開と迎える結末を迎えるのであるが、いづれも一度見たら忘れることのできない人間群像劇でした。
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