見出し画像

【テルレスの青春】ヴィスコンティも映画化を画策した、ニュー・ジャーマン・シネマの先駆的作品

「ブリキの太鼓」のフォルカー・シュレンドルフ監督の長編デビュー作でありニュー・ジャーマン・シネマの先駆的と言われる作品。
ヴィスコンティ監督も映画化を計画していたと言われる。

主演の少年は鋼のような硬質の魅力を持ち合わせるマチュー・カリエール。ビョルン・アンドレセン「ベニスに死す」の持つ甘い美貌とは対照的ながらも、思春期の揺れ動く感受性を演じ抜いた。

社会における性と、思春期の持つサディスティックな欲望と暴力の支配によるメカニズムを日常の細部にわたり容赦なく叩き込んでくる様に圧倒される。

そしてこの作品は実に論点を多岐にわたって多く含むので、これからも私の投稿する議題に頻出すると思います。

未だVHS止まりで、いまや埋もれてしまって久しいこの作品を視聴できる人は限られていると思います。

なら、しっかりストーリーを書けよ・・という話ですが、その都度ネタバレするのでこちらでは 小出ししていきます。

他の方が詳しく語られておりますので、そちらをご覧ください。

ご紹介程度のストーリーが以下になります。

テルレスは郊外にある寄宿学校の上級生。

その整った風貌とクールなたたずまいは何かと注目をされる優等生的な存在だ。
ある日、テルレスはバジーニというホラ吹きの同級生が、クラスメイトから金を盗んだことを知る。

クラスのリーダー的存在のバイネベルクとライティングは、バジーニを私刑的に罰しようとした。
何かと暴力的なライティングは激しく殴りつけ、罵倒し、生ゴミを喰わせたりして己の鬱憤をも晴らしているかのような肉体的な暴力に訴える。
このことでライティングは獰猛で残酷な興奮に加え周囲からの注目もあって日々暴力は悪質化していく。

もう一方のリーダーであるバイネベルクは学問的に精神論を展開し、精神的にネチネチと追い込みをかけ、人間としての生存の正当性を日々削いでいく。
言わば洗脳的な人間支配により、バジーニはもとより、それを日ごろから見聞きしている他の生徒たちをも取り込んでいき、もはやバジーニの居場所など何処にもなくなっていく。

テルレスは、この隠れた裁判を傍観するのみであり、クラスメイトの残酷な行為に嫌悪感を抱きつつも、この連中の暴力の中の正当性に惹きつけられているのを感じるのである。
しかしこの行為が全く何の根拠のない下卑な行為であって それを止めさせるのが彼の立場であると気づくまでに、彼の心は紆余曲折を繰り返さねばならなかった。

そしてそれは遅すぎた・・・

かくして事態は学校当局の知るところとなり、テルレスは教師の前で 自らを正当性を主張するが、全く理解されることはなかったのである。

教師たちは当然一人前の大人であるが、テルレスの立場で辿った心の葛藤をそのまま経験した者などいるはずもなく、教師たちもまた それぞれの経験により培った人生観を持っているのである。

何かで言及したが、「人間の美徳と罪悪は共に自然に生じ、環境に支配される」ということをも見事に映像化 思春期の持つサディスティックな欲望と暴力の支配によるメカニズムを紐解いた繊細かつ恐ろしい作品であって、マクロ的な史観から大傑作とかという言葉で縛りたくない・・・。
他人が経験した不変的な日常の一コマを経て、思春期の青年が経験する憧れや心の葛藤、善悪の境目や、それらが反転する瞬間などを垣間見ることが出来る。
そして何より、どんなに力尽くしても、他人に理解してもらえないもどかしさ・・。 
自分も思春期ではないけど、まだまだ学ぶべき事が多すぎる。

映画は疑似体験の場ともいえる。ボーっと観るもよし。貶すもよし・・。
人生の糧とするもよし・・・ですね。


ニュー・ジャーマン・シネマ
1960年代後半~70年代にかけて興隆したドイツ映画界の新しい動きをさす。
62年2月,若手の監督たちがいわゆる「オーバーハウゼン宣言」を発表,旧来の映画に死を宣告し,因襲的・商業主義的な映画制度に束縛されない,新しいドイツ映画を創造していく決意表明を行なった。
これが運動の始まりで,65年には,その中心的人物で理論的指導者でもあった アレクサンダークルーゲによって「若いドイツ映画管理委員会」の設置が実現。これを契機に,非商業的な映画に対する公的援助システムが確立した。
これらの変化を背景に,まず U.シャモニの『キツネの禁猟期』 (1966年) ,F.シュレーンドルフの『テルレスの青春』 (66年) ,J. =M.ストローブの『宥せるものか』 (65年) ,クルーゲの『昨日からの別れ』 (66年) などの先鋭的な作品が登場。
各作品が軒並み名門映画祭において賞を獲得したことで,にわかに新しいドイツ映画の動きが注目された。
およそ 67年から 75年にかけ最盛期を迎えた。このとき頭角を現してきたのが,『小人の饗宴』 (70年) の W.ヘルツォーク,『自由の代償』 (74年) の R. W.ファスビンダー,『まわり道』 (75年) の W.ベンダースらで,その後,彼らは現代ドイツ映画を代表する監督になり,国外にも大きな影響を及ぼした。











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?