【雑記】お残しは許しまへんで
「お残しは許しまへんで~?」というのが口癖になっている某忍者アニメのおばちゃんがおりますね。
私自身、そのように躾けられて育ち、そしてそのように思っています。
どうしても食べられない量というのがあるのも理解しているし、子供は盛り付けの量も難しいので残ってしまう事があるのもちゃんとわかっているので、お腹がいっぱいになったなら強制はせず、私が代わりに綺麗にするようにしています。
実家は自営業の飲食系でした。ご注文をいただいた品を提供し、お客様に満足していただく仕事。ご馳走様と声をかけてもらえる事で十分だけれど、たまにでも、美味しかったと言ってもらえると、その一言でとても嬉しくなれます。
ただ、まぁ、食事の量は人それぞれ様々ですし、沢山食べる方もいれば、小食の方もいます。うちの店の味付けがお口に合わなかった場合もあるでしょう。それらすべての方の希望に沿うように作る事は難しく、基本の量は少し多めになったり濃いめの味付けになったりしてしまいます。
特に、たまにやってきていた学生の合宿の食事に母が苦労していたのをよく覚えています。
高校生や大学生の男女なので、基本的には沢山食べる事を想定しなければいけません。けれど、男子学生に合わせると女子学生さんには多くなってしまって、必然残り物が多くなってしまいます。もちろん、食べられないものや好き嫌いは事前に聞くことが出来たのでそこは配慮していましたが、それでも全てを綺麗に平らげてもらう事は難しいです。
片付けているときに、どうしても捨てざるを得ない残飯達。
少しでも捨ててしまうものを減らしたくて、昔は飼い犬にくれたりもしていましたが(今思えばとんでもない濃い味ですよね。流石に今はあげてはいけないものだったと学んでいます)ほかに行き場もなく、仕方なく燃えるゴミとして処分していました。(あまり言うのもどうかなと思う部分はありますが、まったく手を付けていないとわかるものは、そのままとっておいて家族で食べたりもしていました)
日頃、「頂きますと言う事」「茶碗に残る米粒一つまで綺麗にしなさい」「食べ終わったらきちんとご馳走様でしたと言いなさい」等々言われ、そのように食事をしていた私としては、捨てられていく食材たちを見ては、もったいないなぁとずっと思っていました。人の食べ残しを食べる、という趣味はありませんが、それでも、まだ食べられるのになぁ、と。
日本には食材が沢山あって。ほとんどの人が、好きなように食材を手にすることができ、美味しい食事をいただくことが出来ているのでしょう。
けれど、それは、好きなように食べ散らかしていいという免罪符ではありません。
自分が購入(仕入)したのだから、すきなようにしていいじゃないか、と思う方もいるかもしれませんが、それでいいのでしょうか。
食材たちが私たちの手に渡ってくるまでには、沢山の方の手を苦労を介しています。何もせずとも出来上がるものではなく、全て何かしらの人の大変な思いが、農家さんの毎日の苦労や、メーカーさんの商品化までの苦労や、配送業者さん、スーパーの店員さん、その他たくさんの方々の思いとが重なって、届けられるのです。
「頂きます」という言葉には、自分の元まで届けてくれた人々への感謝の言葉なのだと、思うのです。
食べたいものを、食べきれる量で。
基本であり、大切な事ですね。
それにプラスして、まだ残っている食材を、捨ててしまう事のないように美味しくいただくにはどうしたら、という意識を持つこともまた大切なのではないかな、と思います。