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冷蔵庫内の地雷
夕飯を準備する人ならちょっとわかってくれるだろうか。
「夕飯前だからおやつはやめときなさい」と子供には声をかけるものの、夕方で低血糖になってる自分を奮い立たせるために、台所に立つ前になにか一つくらい口に放り込むことがある。
先日チョコパイを買っておいた。夏の時期、チョコレートのお菓子は溶けるので基本的に冷蔵庫に保管してある。
ひとつ食べてから働こうと思って冷蔵庫を開け、チョコパイの箱に手を伸ばしたら空っぽだった。
そういえば2時間ほど前、小1の次男が「最後の一個だったー」とチョコパイを食べていたのを思い出した。あの時すでに・・・。
彼がチョコパイを食べたのが罪ではない。空き箱を冷蔵庫の中にそのまま放っておいたのが罪である。重罪だ。そう言えば今回買ったチョコパイは、私は一個も食べられなかった。そんなことを思いだして余計がっかり感が増した。
牛乳の空きパックが冷蔵庫のポケットの中に放置されることはない。マヨネーズのチューブもそうだ。その都度好きな分量だけ取り出すタイプのものは、冷蔵庫の外に放置されることはあれど、空き容器が冷蔵庫ににもどることはない。
今回のチョコパイのように、個包装になっていて一つずつ取り出すタイプのものがこのような飯テロ亜種(食べられなくてがっかり)*の兵器となりうる。
我が家の場合、小腹が空いた時に需要のある、6Pチーズやスライスチーズ、小分けのお菓子の箱や袋なんかが冷蔵庫によく潜んでいる地雷である。
解決策は、中身が空になったらパッケージを捨てるルールを徹底させるか、パッケージのまま冷蔵庫に入れず、透明の容器に移してしまうとかだろうか。前者に必要なのは冷蔵庫利用者の意識改革で、後者は冷蔵庫に食材をしまう者の一手間である。
いずれも面倒臭い。意識していないものを意識させるタイプの他者の意識改革の方が困難ではあろうが、買い物をしたあと冷蔵庫にしまうだけでも面倒くさいのに、さらに開封して容器に移すまでやっていられるか。また、パッケージがなくなった小分けのものは、なぜか在庫が減らないのだ。パッケージに対する信頼感などがあるとでもいうのだろうか。
なお、中身が空になったケースだけでなく(この言い方紛らわしいな)、気がついたら賞味期限が切れていたが、パッケージは綺麗なままなので気づかず放置されているというタイプの地雷もある。
こちらの方は、やや自分の責任のような気もするので諦めやすい。
冷蔵庫に入っているものは基本的に食べられるものだと思って油断している。だからこそ、期待していて食べられなかったことにがっかりしているのだ。パッケージがあるということは、そこに中身があることを期待しているのだ。
今日の事故は、ダブルで期待を裏切られたので余計がっかりしたのだ、形ということで決着をつけることにする。
*「飯テロ亜種」は筆者が勝手に言ってるだけで、「飯テロ」が食べられなくてがっかりな時に使えるかは不明です。