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「これは数ですから。数が大事なんですから」 そう言いながら古賀太一さんは歩みを止めずに商店街の中を進んでいく。もはや走っている、いや、飛んでいると言っても良いかも知れない。私たちはついていくのがやっとだ。 「ここです」 目的のスーパーに到着した。古賀さんはサッと店の中に入っていく。 「あ、お待ちしていました」 スーパーの奥からマネージャーが駆け寄ってきた。手には短冊とペントを持っている。 「こちらに、お願いします」 「はいはい、わかりました」 古賀さんは目を瞑って少し
あいつに死んで欲しい。でもあたしが殺すなんてとんでもない。 だから呪い殺してもらうことにした。 「やめておかれた方が…」 陰陽師の人が最初に言ったのはそれだった。 「なんでですか」 「「人を呪わば穴二つ」というのをご存知ですか?」 「知りません。あたしはあいつに死んで欲しいんです。あいつは私の家族を壊しました。あいつは私のお金を取りました。あいつは私を…」 「わかりました、わかりました。しかし、そこまで恨みがあるのなら、なぜご自分でされないのですか?」 「そんな恐ろしい
「あんまり人いないっすね」 眠そうな目をしてバックパッカーは食堂を見回した。深夜のパーキングエリアでテーブルに座っているのは俺たちの他には一家族しかいなかった。 トラックは4時間半走ったらかならず停まらなければならない。今日も下道に降りる前のパーキングでその時間を迎えた。ただ、今日がいつもと違うのは、前のパーキングで一人乗せてきたことで、今までそんなことをしたこともないのに急にそんな気になった。 バックパッカーは「どこどこまで!」と書いたスケッチ帳を持って車の前に飛び出
建物の脇に密やかについている石の階段を降りて両開きの鉄扉を開けると延々と続く廊下がある。その行き止まりの扉を開けてさらに進むにつれてだんだん空気がひんやりとしてくる。廊下にまで冷気は漏れてきてはいないはずだから気分の問題だろうけれど、そもそも最奥は冷えに冷えているのだから、それが伝わってきているのだとも思う。しかし、外界から完全に遮断されているはずという前提は崩れているのかも知れない。 防寒服を着て扉を開ける。そこにはたくさんの管に繋がれた透明なカプセルが安置されている。
月も朧に。 維納の「れおぽるとしゅたっと」区の屋根の上には今宵も辺りに住む猫たちが集まる。 マイステル 「皆の衆、揃ったか」 猫たち 「あい」 マイステル 「シュヴァルツ、今宵こそ楽器を忘れずに持ってきたか」 シュヴァルツ 「あい、ここに」 マイステル 「弦は張り直したろうな?」 シュヴァルツ 「あい、確かに。あのにっくきドブネズミ、ブラウンの髭を使ってございます」 ヴァイス 「シュヴァルツ、貴様、嘘をつけ。俺は確かにブラウンが「ぷらあたあ」公園を走るの
「ねえ、私、間違ってますか?」 カウンターの向こうでさめざめと泣く、その質問への答えは、どっちにしろ間違いである。つまり、「はい」も「いいえ」も同じように刺されるという意味だ。 「そうですね…」 そう言いながら考える。なんて答えたらいい、なんて答えたらいい、なんて答えたらいい。 肩越しに見えるパン棚の前で血を流してバイトが倒れている。窓ガラスの向こうにはさっきまで店にいた客たちが中を覗き込んでいる。 こういう事態になるような始まりではなかった。バイトに話しかけている男
小麦もミルクも水も火も、全てが値上がりして、パン屋としてやっていくには数をもっと作らなければいけなくなった。でも、独りでやっていお店だから、できることには限界がある。だから、パン屑で人形を作って、手伝わせることにした。人が土の塵でできているのなら、パン屑でできた人形は人間よりもハイランクな気がする。 パン屑の人形はよく働く。身を粉にして働く。元々が粉なのだから、それは当たり前なのかもしれない。 パンに関することならなんでもさせられる。少なくとも、パンを焼くまでは任せられ
ある日から、高層ビルの上に十字が立つようになった。どのビルからそれが始まったのかはわからない。気づいたら十字はどの屋上にも見られるようになっていた。 見られるようになっていた、と言っても地上から見えるわけではない。その頃には高層ビルの頭は全て雲の上まで突き抜けていた。どのビルも、見上げる角度からは十字の全貌がわからないようになっていた。だから、立っている十字を見渡すには、一番高いビルの上に行くか、あるいは空を飛ぶものの中から眺めなければ見えなかったのである。 どうして十
「ここは何の順番待ちですか?」 そう聞かれて答えようと口を開いたが、言葉が出てこなかった。確かに、ここで待っていてくださいと言われたはずなのだが、それが曖昧な彼方に消えてしまうほどの時間が経っている。 しかし、さっきもらった券を一瞬で失くすこともあるから、案外、2分前とかかも知れない。 「あんまり把握できてなくて」 そう言って曖昧に笑った。そもそも急に話しかけないでほしい。 「なるほど」 そう言って、その人は少し離れたソファに腰掛けた。気づくと、周りにはけっこう人がい
うとうととしてから目を覚ます。そういう時に、はっ、と目が覚めたと言えればいいのだが、そうではなく、目が覚めたから覚めるのであって、しかもその度に動悸がしている。 窓の外はずうっと暗い。日が落ちてから出発したから仕方がないのだが、今、自分がどこにいるか見当がつかない。 しばらく、寝て目覚めてを繰り返すうちに、寝られなくなった。目が覚めているわけではない。ただ、胸の中に苦しい塊がある。 イヤホンを外した。音楽はとっくに終わっていた。車内の人はみな寝ているらしい。携帯電話の
猫ならなんでも興味があるから、お家まで遊びに行った。 迎えてもらった部屋の中はきちんと整理整頓されていた。「本当は物は全く必要ないんですが、どうしても、人を迎えるとなると、体裁だけは整えなければいけなくて」と言って柏原さんは微笑んだ。 「猫はどこですか」 「ああ、今、連れてきます」 猫がやってきた。黒猫だった。 「えー! 可愛い!」 「そうでしょう」 「あの、こう言っていいかわからないけど、「猫」ですね」 「ええ」 柏原さんは嬉しそうだった。というのは、この猫はロボッ
「お疲れ様でした。××町観光招客課の奥田です」 「ありがとうございました」 この人も駅までの車に乗ってきた。 「いやー、本当にこの町にお笑い芸人さんに来ていただけるとは思っていませんでしたから、本当に良かったです」 「ありがとうございます」 「ねえ、落語家さんも、初めて見た人多かったんじゃないかと思います。で、いかがでしたかね」 3人の毛穴から「何が!?」という空気が出た。 「そうですね、雪深いところとは伺っておりましたが、これほどとは」 志っとこさんが無難なところを攻
会場を一周してからステージ横のテントの中に入った。ストーブに当たって主催者にお世辞を言い、少し話してから準備があるからと出てもらった。 「どうする?」 戸田が手をヤカンにかざしながら呟いた。 地方の雪祭りでの営業で15分1ステージ、豪雪地帯だから万が一動けなくなることを考えると先輩たちはスケジュールが取れず自分たちに回ってきた。 駅まで主催者が迎えにきてくれて会場に入ると、そこら中に雪だるまやら雪像やらがある。そして、広場の真ん中には、たくさんのかまくらがあった。こん
いかに正確に円を描けるか競う大会があるのをご存知だろうか。私は三連覇して引退した。その頃には円を描く仕事で引く手数多になっていたからだ。 この世には様々な円を描く仕事があり、しかも機械では代用できない、あるいは機械では求められる精度での正確な円が描けないといけないということがある。そういう時に私が呼ばれて円を描く。 ある時、頼まれて、射撃の的の円を描いた。それも、人の形に厚い板を切り出したものに描くやつだ。何体も描いて大好評だった。「円に弾が吸い込まれるようです」と言わ