「地獄の釜の蓋(じごくのかまのふた)」 その⓵ おとなの絵本怪談
はじめに&あらすじ
夏休み
蝉の声が耳の奥の奥までひびいている。深呼吸すると体の中にも蝉の声がしみわたる。
チリン、チリン。
風鈴の音が申し訳なさそうに聞こえてくる。
黙っていても汗をかく。扇風機の前で声を出してみる。ちょっとだけ涼しくなった気がしたのは、勘違いだった。
小学校の夏休みの宿題の取り組み方を大きく2つにわけると、毎日コツコツ仕上げる派と後半にまとめて追い込む派がいるようだが、あの頃の私は毎日コツコツ派だった。前半のうちに難関部分を終わらせておいて、後半をひたすらゆったり遊べるようにしておくのが心地よいと思っていた。
テレビでは、朝の夏休み特別子ども怪談番組が放送されていた。派手な効果音と特殊メイクでごまかして作られた子どもだまし的な番組だった。司会者やゲストたちが大げさに驚いたり涙ぐんだりしている。誰も集中して見ていないその番組は、生活の中に溶けこんだバックグラウンド音楽と化していた。
私は怪談の内容よりも、出演者の後ろのスタジオのセットに魅力を感じていた。お化け屋敷のようなおどろおどろしいセットの中に、ポツンと置いてある狐のお面に目がとまった。
(かわいいお面)
気味の悪いセットの中でキラキラ光る、その狐のお面に心惹かれていた。
墓参り
昔からお墓参りは嫌いじゃなかった。家族連れでにぎわうお墓には、いろいろなドラマがあった。
泣いている家族。
子どもたちが大はしゃぎしている家族。
静かにひとりで手を合わせている人。
お盆用に仮設でたてられたテントの下で待機しているお坊さんたち。
甘い和菓子と果物のにおい。
ゆらゆらと立ち上る線香の煙。
遠くから食べ物を狙うカラスたちの群れ。
親戚のお兄ちゃんに水汲みを教えてもらう兄弟。
私はそんな人たちの姿を見ながら、自分の家のお墓から少し離れたところを歩いてみるちょっとした冒険が好きだった。弟が私についてくることもあった。どこまでいってもお墓だらけの同じ景色。迷路のような墓地を歩いていると、突然心細くなることがある。抜け出すことのできない迷宮のような錯覚におちいる。
カー、カー、カー。
ハッとした。自分の家族が遠くで豆粒くらいの大きさに見えた。弟がトイレに行くと言い出したので、仕方なくついて行った。
「そこにいる?」
弟が私がきちんとドアの外で待っているかを確認している。
「うん」
外に設置されているお墓のトイレは苦手だ。トイレの裏を覗くと、自分の背丈よりもはるかに高い熊笹の葉っぱがサワサワとゆれている。
「ねー、そこにいる?」
見てはいけないと思えば思うほど、見てしまうのが私の癖だった。使用していない方のトイレから何やら気配を感じる。私と弟以外の使用者はいない。
「うん」
気のない返事を繰り返していると、
「ねー、そこにいるのってば!」
弟もなんとなく気色の悪い気配を感じているのだろう。私が待っているかどうか執拗に確認してくる。
ギーッ。
誰も入っていないはずのトイレのドアがひとりでに開いた。
笹の葉がサワサワとゆれる音がさっきより大きくなったような気がする。
「ねーってば」
弟が泣きそうな声を出している。
「うん、いるよ」
バタン。
勝手に開いたドアが突然閉まった音にビックっとした。
弟が泣きそうな顔をして飛び出してきた。
「ちゃんと流した?」
確認する私の顔を見て泣きそうな顔でうなずく弟に、トイレを流すように諭した。
「手、洗った?」
また泣きそうな顔でうなずく弟に、手を洗うように諭した。
ドアを押さえている私の足をピョンっと飛び越えて、弟が先に外に出た。背中にゾーッと鳥肌がたった。本当は私も逃げ出したいのだが、あえて慌てないようにわざとゆっくりとした動きでドアを開けて外に出て静かにドアを閉めようとした瞬間、もう一度だけ中を確認してしまった。
何者かと目があった。
さっきの二倍、いや三倍の鳥肌がたった。私は我を忘れて弟の後を必死で追った。
追いかけてくる気配がする。
できるだけ早く足を動かして走り切った。もう少しでその何者かの手が私の背中に届きそうだ。
カー、カー、カー。
(あのお坊さんのテントまで行けば、助かる)
今、勝手に決めたルールに自分で従う。お坊さんがにこやかに会釈してくれた。
(助かった…)
後は絶対に振り返らず我が家のお墓まで急ぐと、弟はひと足さきにおはぎをほおばっている。
もう一度言う。私はお墓参りが嫌いじゃなかった。
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