「地獄の釜の蓋(じごくのかまのふた)」 その⓷ おとなの絵本怪談
前回のあらすじ
石の門
目の前で大きく口を開けた石の門と周辺の景色は、なんだか奇妙だった。石の門の周りには鮮やかなピンク色の桜の木、緑の大きなどんぐりの木、そして美しい黄色のイチョウの木が生えている。
(春と夏と秋がいっぺんにやってきた)
そんなおかしな光景を今まで見たことがなかった私は、大きな口を開けた石の門の向こうの見覚えのない景色を疑いの眼差しで見ていた。
「後ろを決してふり返ってはならないよ」と、お坊さんの声がした気がする。
お坊さんの袈裟に染みついたお香のいい匂いがした。私はこのお坊さんの言葉を信じた方がいいと直感で思った。なぜなら、背後にただモノではない恐ろしい気配を感じるからた。
『見てはいけないと言われると見たくなる』
そういった好奇心は、今はまったく意味のない無用なモノだと思えた。そんな風に思ったのは初めてだった。とにかくそれほど恐ろしいモノが後ろにいる気がしてならなかった。
私は深呼吸をひとつすると、手に持っていた狐のお面をしっかりと握りしめて前に進み、石の門をくぐった。大きな大きな口の中に飲み込まれていく途中で、黒い何かが私を追ってくるのを感じた。
グツグツ、グツグツ。
何かが煮えたぎるような音が後ろから近づいてくる。その黒い何かはものすごい冷気を放ち、何かがグツグツと煮える音だけが不気味に響いていた。
おかしな世界
私はグツグツ煮えたぎる音に追いつかれないように足早に歩いた。土地勘のない場所を太陽の見える方に向かってしばらく歩いていると、海の近くの見覚えのある商店街が見えてきた。懐かしいような、初めてのような、宙ぶらりんの気持ちのまま、商店街に吸い込まれるように入っていった。
商店街には海で遊べるおもちゃや浮き輪、ちょっとしたキャンプ道具、食品などが所狭しと並んでいた、はずだった…。
(あれ?前とおんなじだ)
またもや昔の時代にやってきてしまったのだと思い、途方に暮れ、少々ふてくされた気持ちになっていた。
(どうせ、ブリキのおもちゃか何かが並んでいるんでしょ)
そう思って路面店を覗くと、見たことのない色とりどりでゼリー状の得体のしれないものが天井からぶら下がっている。子どもたちは楽しそうにそのゼリー状のものを物色していた。子どもたちの群れの中にいた小学2年生くらいの男の子が、その中から水色のゼリー状のものを選び、タブレットの画面をかざした。
チャリン。
支払いが完了したような音がなり、そのゼリー状のものが男の子の手のひらの上に少しずつドロドロと落ちて来た。男の子ははやる気持ちをおさえるように、そのドロドロが完全に手のひらに乗るのを待っている。周りの子たちはかたずをのんで、静かに見守っていた。
男の子はタブレットに向かって何やら話しかけると、今度は設定完了のような音が鳴り響いた。そして、手のひらにのったゼリー状のドロドロをタブレットの上に慎重にのせた。ドロドロが七色に変化したかと思うと、形を変化させながら次第に立体になって空中に飛び出してきた。
立体的になったその存在は水色で、押すとへこみそうな柔らかい肌質で、異常に背が高く、ヘンテコな着物を着て、同じくヘンテコな下駄をはいて、頭には唐傘がちょこんとのっている。
「お久しぶりです、おぼっちゃま」
その水色の存在は、男の子に向かって挨拶した。男の子は驚きもせず、嬉しそうに水色の存在の腕にまとわりついたり、おんぶや肩車をしてもらっている。
商店街を見回すと、知っているようで知らないものであふれていた。子どもたちも大人も一見普通に見えるが、彼らの持ち物や身にまとっているものの素材が初めて見る質感だった。
さっきの水色の存在に加えて、タブレットから出てきたであろう桃色、だいだい、赤、青、黄など、あらゆる色の存在を至るところで見かけた。どうやら、彼らは人間と共存しているようだ。
こんなおかしな世界の中に放り込まれたにも関わらず、過去の世界で感じた時と同じように、私は初めて訪れる場所なのにどことなく懐かしい故郷に帰ってきたような不思議な気持ちになっていた。
お面を返す
辺りはすっかり夕暮れに包まれていた。空が少しずつ暗くなるのと反対に、町の明かりが灯りはじめ、天と地の明るさが入れ替わった。
私は商店街で見た光景に頭が追いつかず、しばらく心と肉体が一致しないまま、ゾンビのように町を彷徨っていた。かろうじて、片手に握りしめた拾ったお面を落とさないように気をはっていた。
商店街の外れまで行くと、左右にずらっと立ち並ぶ店や提灯の明かりがまぶしいくらいに輝いていた。夕食の時間だからか子どもたちの姿はすっかり消え、飲食店の中から聞こえてくる賑やかな声とは対照的に、路地は静まり返っていた。
時おり入り口の隙間から見えてくる大人たちが豪快に飲んで、食べて、騒ぐ様子が、恐ろしく感じた。私はある店の前で、隙間から見える店内の様子に目を奪われていた。仕事帰りのサラリーマン風の男たちがどんちゃん騒ぎをしている。
酔っ払って騒いでいるサラリーマンの持っている酒のグラスにおかわりを注ぐ店員たちの姿が見えた。私は思わず息をのんだ。グラスに注がれた液体は、さっきの商店街で見た色とりどりのゼリー状のドロドロににそっくりだった。
店員たちはお揃いの白い着物と赤い袴を着用している。不気味なことに、狐のお面を被っている。狐のお面は笑顔だが、その下の表情が見えないことがさらに不気味だった。店員たちは、時おり首や肩をカクカクと前後左右に動かす動物のような仕草をするが、前進する際は滑るように素早く移動していた。
私は金縛りにあっているわけではないのに、その場から身動きがとれなかった。サラリーマンたちはどんどん注ぎたされるドロドロの赤や緑や青の液体を勢いよくあおっている。大騒ぎしているサラリーマンの横には、カウンターに突っ伏して寝ているサラリーマンが見える。
ここから離れたい気持ちとは裏腹に、私はそのおぞましい光景から目を離せずにいた。すると突然、ひとりの店員がこちらを振り返り、私が左手に握りしめているお面を凝視しカクカクと奇妙な動きをしたかと思うと、こちらに向かってものすごい速さで近づいてきた。
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