「自分が…」から離れて考えてみる環境問題
―中尾
イギリスでは、COP26が行われていました。
岸田さんは、行って演説して2日で帰ってこられましたが、それでも行った価値はありましたでしょうか?
―澁澤
はい。良かったと思います。あの集まりというのは、地球上の皆で手を合わせて気候変動をなくしていこうという集まりです。
環境問題って、誰かすごく優秀な人が出てきたりとか、とても先進的な国が出てきて、その国が率先して解決してくれるという問題ではなくて、逆に誰か、どこかの国だけがさぼってしまったりとか、俺たちは関係ないだろうと人々が思ってしまった瞬間に地球環境は取り返しがつかないことになってしまうという問題なので、少なくとも日帰りみたいな参加でもあの場に行って、私はこの一員として頑張りますと表明したことはとても良かったと思います。みんな運命共同体なんだよという意識を持つには、ネットの力、目と耳から入ってくるだけの情報というのは限りがあるのかもしれません。
―中尾
今回もグレタさんがお見えになっていましたね。
―澁澤
なんだか、すっかりスターになってしまいましたね。本当は彼女が言っていることは自分がスターなのではなくて、みんなでやらないとだめよと言っているのですが、あまりにも有名人になってしまったために、彼女だけを祭り上げて、彼女をたたく人と彼女を絶賛する人に分かれて、それだけで終わってしまう気がして、あまり良い感じはしませんね。
―中尾
でも、今回は日本人の高校生も参加していましたよね。
影響力があるなあと思ってみていました。
―澁澤
そうですね。まさに自分たちの問題だといってくれていたので、それはとてもありがたいことでした。
―中尾
その通りですもんね。
日本に置き換えると、日本の国土は7割が森林で、それは今も変わらないんですよね?
今も森の文化が続いていると私は思っていて、そういう国だからこそ、そこをもう一度見直して、それは当たり前ではない恵まれた環境だということに気づくことが必要なのではないかと思うのですが…
―澁澤
そうですね。国土の7割が森だというのは、今も変わらないですね。
ありがたいことなんですよ。30年前のまた30年前というのは、まだまだ日本のエネルギーの非常に多くの部分が森に依存していました。
その森を利用してエネルギーを得るということが、一番持続的にエネルギーを得られたのです。石炭も日本にはありましたが、石炭は掘りつくしてしまえば終わりなのですが、森というのは、また翌年成長してくれるので、その成長分だけを切っていれば、永久にエネルギーとして使えるのです。
―中尾
当たり前にそうしていたのですよね。この5~60年が一気に進んだのですよね。
そして、一気に石油を使いすぎたのですね。
―澁澤
石油だけじゃなくて、食べ物も海外から買うようになりましたからね。
―中尾
つながりすぎちゃったのですね?
―澁澤
先ほどのCOPの話ではないですが、そのことが気候変動を招いたとも言えます。
日本だけがつながりすぎたわけではなくて、世界中の人と人、国と国がつながりすぎた。
そして、より早くより効率的に自分に一番得なものを手に入れるという、まさにインターネットなんてその仕組みなのですが、それを競い合うことが国の発展だと思うようになった。その結果としての温暖化です。なので、これは気候の問題ではなくて、人の問題で、私たちの経済の問題で、私たちの暮らしの問題なんですよ。
―中尾
しかも地球から見ると日本はこんなにちっちゃい国なのに、co2の排出量が世界で第5位だというじゃないですか… とってもエネルギーを使いすぎている国だということですよね。
―澁澤
そうですね。
だって、コンビニは、24時間電気はついているし、ほしいものはすぐに手に入るし、フードロスを見てもレストランで残したものも、消費期限が過ぎたものも捨てられます。それを普通だと思っていますよね。トロやステーキを食べることは贅沢ですけど、コンビニに行くことは贅沢だと思っている人はどこにもいませんよね。その暮らしが結局今の地球の悲惨な暮らしを招いているともいえます。
―中尾
昨日ニュースを見ていたら、年金で暮らしている方が、実は1ヵ月1万円とか5万円とかしかもらっていないので、とても貧乏で、家賃も払えないから、働かなければいけないといっている70代、80代のご老人がいるんですよ。おかしくないですか?
一方で、そんな風に食料を捨て、日本は何兆円もかけて気候変動に寄付しましょうという話がある…お金に惑わされていますよね?
―澁澤
そうとも言えますね。結局すべての暮らしがお金に依存するようになりましたから、お金がないと暮らせない。そして、実体経済の何十倍、何百倍というお金が世の中に余っているのに、生活に必要な人のところに行かない。それから、生きていくということをどうやって組み立てればよいかがわからなくなっているので、すべてはお金に頼らざるを得なくなった社会。先進国だけが二酸化炭素をどんどん出して、良い生活をする。発展途上国は置いていかれて、先進国の人たちは、『お前たちは、ちゃんと働かないからそうなんだ』といって、何となく免罪符を得ている気持になり、その辺の人間のお互いのつながりだとか支え合いということを根本的に見直さないと、この問題は解決しないのかもしれませんね。
年金制度をどんなにいじっていても解決しない気がしますね。
―中尾
私事で恐縮ですが、仕事をやめてNPOを始めてから、あんなに稼いでいた人が食べていけるはずがないといわれましたが、食べられているんですよね。
―澁澤
不思議ですね~。
―中尾
不思議ですよね。で、貯金が山ほどあるかというと、貯金はすべてNPOにつぎ込んだので、ないですよ。人が助けてくれているとしか私は思いようがないんですよ。
―澁澤
まあ、中尾さんは口がうまいから、その関係がつくれるのよね…と思われる方もいるかもしれませんね(笑)
人間関係というほど大仰なものではなくてね、たぶんかつての日本人って、『自分』っていう意識が今よりはるかに少ないんですよ。少なくとも村の全員は、ほぼ同じ、要するに自分のカラダの一部ですし、村を支えてくれている周辺の山だとか野に生えている生き物、水も石も、たぶん自分のカラダと大して変わらないという意識を持っていたと思うのです。人と人はつながるものというより一心同体のものという感覚。私が行っているところのほとんどの地域はその感覚が今でもまだ色濃く残っていますね。
自分は他人とは違う。自分は自分らしく生きなければいけない、あるいは職業につかないと自分は生きてはいけないと、どんどんどんどん『自分』を中心にすることによって壁を作って生きづらくしてきたのが現実かもしれないですね。
昔のじいちゃん、ばあちゃんが野の仏に向かって手を合わせて、仏さんに助けてもらったとは思っていなくて、全部自分を包んでいるものの中で今日も一日生きられた感謝というのが、今の私たちとは違う感覚なのかもしれませんね。
―中尾
私、最近そんな心境です。
―澁澤
ああ、すべての人がそうなれば環境問題は解決するかもしれません。
―中尾
ということは、都会だけがちょっと異質かもしれないなという気もしますね。
ちょっと近所というか、ちょっと離れたところを見てみると、もう少し楽しい暮らし方があるんじゃないかなという気がします。
―澁澤
今、中尾さんが言ったことはまだ誰も言ってないんだけど、そこまで入らないと、単なる二酸化炭素の排出を何パーセントにしましょうとかテクニカルな問題だけ言っていても難しいんじゃないかと思います。
学生さんたちと話していても、「自分が」をなくすということは怖いことなんですよね。
プライバシーがなくなってしまう、みんなと一緒に生きるということは何となくあこがれるけど、自分のプライバシーがなくなる、自分だけの時間が無くなるということに対して、ものすごい恐怖感を持っています。
―中尾
個人も保ちつつ、みんなとつながる時間を持つというか、自分で心の中で整理できると思いますけどね。
―澁澤
ひょっとしたら、「自分が」の部分はソーシャルネットワークの中でつくれるかもしれない。そして肉体の世界は「みんなで」になるかもしれない。
―中尾伊早子
それ理想ですよね。
誰か、実験してくれないかなー。
―澁澤
中尾さんがやればよいじゃないですか。
―中尾伊早子
そうですね。じゃあ、これからはそっちに向かって、澁澤さんも一緒に進んでいきましょうね。
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