真庭なりわい塾
今日は真庭なりわい塾についてお話を伺います。
―澁澤
岡山県の山の中にある真庭市というところに、もう22~3年通っています。
真庭は、NHKスペシャルで紹介された「里山資本主義」が大変ヒットし、知られるようになったところです。
そこに20年以上携わりながら、今のおかしくなってしまった金融資本主義ではなく、自然の成長量の中で人間が暮らせるような自然資本にのっとった資本主義をつくろうという動きなのですが、それはそれでまた改めてお話しするとして、そこで次世代の自然をベースにした暮らしをつくれるような、人材育成の塾をもう5年近く続けています。
なりわい塾というのは、トヨタ自動車と2009年のリーマンショックから考え始めたことなのですが、2011年に3.11があって、もう一度人間が生き方を見つけなければいけないという予感を多くの人が持つようになり、そもそもは豊田市の中山間地域で始めた塾なのです。ところが人間というのはあっという間に3.11のことはほとんど忘れてしまい、国自体が原発の事故もなかったことにしようと変わってきて、そしてもう一回、今回のコロナでより戻しが来ています。「生きるってどういうことなんだろう、幸せの原点っていったいどこにあるんだろう」と、青臭く考えてみようと、真庭市でも5年前から続けています。人間はそもそも自然の一部なので、自然の中に一度身を置いてみて、一回立ち止まって、日常に流されない形で自分がこれからなんのために働くのかを考え直そうという塾です。
地域の人と一緒に地域を歩いて、地元学といって地元に学ぶと書くのですが、そもそも地域ではどういう自然や資源の中で、どのような暮らしが成り立ってきたのか、暮らしが成り立ってきた跡というのは地域の風景に残されていますから、人間と自然がどういう関わりをしてきたのかということを読み解いていきます。次に、その場所で長年生活をしてきた、お年寄りたち、お一人お一人の聞き書きをして、そこでどんな人生を歩んできたのか、昔はつらかったというけれど、つらいだけでは人間は生きていけませんから、その中に楽しみもあっただろうし、いろんなことがあった。その人生を紐解いていくと、地元学と聞き書きが、地域の縦軸と横軸になる。一人の人間が80年、90年、どう生きてきたのかという縦軸と、その時どういう景色がそこでつくられていったのかという横軸。それで地域を理解していく。そんなことをしていると、地域社会では、いつも塾生という名のよそ者がうろついていますから、地域の人もいろんな形で接点を持ち、地域に入れていただけるようになる。地域の祭りに参加をしたり、地域の未来を一緒に考えたり。そんな中で地域の資源とはどういうものがあるのかということをベースに、私たちが大量消費、大量廃棄の高度経済成長期に違うセレクションをしたら、経済の発展はあるにしても、違う社会の価値観ができていたら、どんな社会をつくれたのかを考えます。それは、行き詰った現代社会とは異なる、未来社会の絵地図にならないか、そんな議論を進めていきます。塾生は若い20代と30代が中心です。一回社会に出てみて、結婚もして、あるいは職場に勤めて、これでよかったのかということを疑問に思っている時期であったり、30代は、子育ての時に今のままの環境で子供を育てて良いのか、都市の競争社会で、お父さんの帰りも子供が寝てからという、こんな暮らしを本当に続けていいのだろうか、など疑問を持った人たちの集まりです。毎年30人くらいですが、そんなことを真庭では、かれこれ5年以上やっています。
―中尾
私が結婚して、大阪から上京したのが33年前なのですが、東京に来て初めに感じたのは、朝の通勤電車で、あまり幸せそうな人がいなかったことです。みんながイライラしていて、しかめっ面が多くて、忙しいんだなあというのはわかりますし、仕事もあるんだろうということはわかりましたが、とにかく朝から疲れていて、楽しそうではなかったですね。それがちょっと残念でした。
―澁澤
東京の暮らしというのは、大阪も同じかもしれないけど、お金を中心にすべての生活があります。ですので、経済性、効率性が優先されます。そうすると、今自分が与えられている課題を解決するのに、どうやったら最短距離でそこに到達できるかを考えろと、社会的な圧がかかってくる。そして、それ以外のことが無駄になってくるので、電車の中ではしかめ面になるし、早く正解を見つけて、自分は他人よりも早くそこにたどり着いて、いつかゆっくりするんだと思っている、都会はそんな人たちの集まりなのかもしれませんね。この前のオリンピックあたりから、まさに高度経済成長期が始まって、競争社会になりました。競争に勝ち残れないと東京に住めない。たしかに、東京はお金があれば楽しい街なのです。自分の欲求も満たしてくれるし、欲求というのは単なる消費の欲求だけではなくて、自分がどう見られたいという欲求だとか、見栄ですとか、そういうこともお金である程度埋めることができる街ですから。
―中尾
そこから抜け出したいとか、それができるのだろうかと考えてはみるものの不安は否めないし、そういうことを勉強しに行く場所があるとか、体験させてもらえるのはうれしいですよね。
―澁澤
そう、教えるというよりも、場を提供します。そこで一緒に悩んであげますよ。皆が恐る恐る足を出してきて、こっちに軸を置いていいのか、と足を出したり引いたりしながら、地域というモノに触れていく、そのうちにだんだんこちら側に軸を置いた方が自分のライフスタイルが豊かになるように思えてくる。なにも、真庭だけではなくて、日本各地の田舎と呼ばれる所に移住をする人がずいぶん育ってきました。
―中尾
いきなり行くとコミュニティに入れない人もいますものね。
―澁澤
コミュニティに合わせなきゃいけないと思ってしまうと、「地域に来ても会社の風土に合わせなきゃいけないというあの圧迫感と同じじゃない」ということになってしまう。
―中尾
コミュニティに入れないと疎外感が大きくなって、戻ってくる人もたくさんいましたからね。
―澁澤
逆に、自分の軸を最初にある程度持ちましょう。軸を持ったうえで、地域社会と距離をどう作っていくのかを見つけていきましょうと、手取り足取りと言えば手取り足取りですけど、そんなことが社会に求められる時代になったということですかね。
―中尾
そういう人たちが地域に入りやすくするためのマネージメントをする役割ですよね。
―澁澤
なんとなくね、今日の続きが明日だったら楽なんですよ。
今日頑張れなかったから、明日は頑張ろうって。
―中尾
ずっとそう思ってきましたよね。でも、そうはいかなくなってきたのですね。
-澁澤
頑張るものが見えて、それに執着をしている方が楽といえば楽なのかもしれません。こんなこと言っちゃいけなかったのかもしれないけど、今回のオリンピックでも、開催に向かって日本が進んできた方向も、ある意味ではそうだったのかもしれません。コロナ禍という新たな状況が生まれたのだから、もう一回開催の是非を議論しようとはならず、チャラにしたら大変だから、それに突き進んで「やることが目的」なんだと、手段と目的を変えてしまった。誰もがオリンピック憲章にあるように、「スポーツを通して世界中の人が平和に」ということは置き去りにされ、オリンピックをやること自体が目的になってしまった。そのことと自分の人生も、大きいことと小さいことはあるけれども、同じじゃないかなと思います。
―中尾
わかる気がします。一度立ち止まって、もう一度自分の胸に手を当てて聴いてみようということですね。
―澁澤
これから本当に時代が変わっていって、働くことも人工知能が入ってくるし、世界経済も明らかに行き詰ってきているし、環境問題しかりですよね。そんな時にもう一回立ち止まる時期。コロナで大変な思いをされている方もたくさんいらっしゃいますが、これは神様が与えてくれた時間なのかなと思います。
―中尾
そういう時間になればよいですね。
―澁澤
そうしないと、苦労をされて、苦しい思いで今病院に入っていらっしゃる方や、命をなくされた方に申し訳が立たないという思いもあります。
3.11の時も同じ思いをしたんです。だけど、人間はすぐに忘れてしまうのです。
―中尾
そうですね。できるだけ前に進みたいと思うのでしょうね。
―澁澤
それはやはり忘れないで、前に進まなければいけない時期なのだと思います。
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