故郷は正しい街だから
椎名林檎さんの有名なアルバム、
"無罪モラトリアム"の一曲目のタイトル
『正しい街』
はじまりと別れと、故郷を歌った曲。
いま、故郷が遠くにある自分にとって
リリース当初に聴いた時とは、
また違った響きがある。
正しい街、つまり
自分の故郷を思わない日は、
たぶんほとんど無い。
"帰りたい"とはまた違う、
思いの寄せどころ。
故郷に暮らす父と母は、働き者で
家業でなに不自由なく、
育ててくれた。
弟は、会社に勤めて、
いそがしい仕事を持ち
子どもを養い、
休む間もなく働く。
故郷に暮らすわたしの家族は、
すべてが正しい。
正しいとは
正しいが何か考え続けることだと
教えてくれた人がいた。
この言葉を知ることができて、
本当に幸運だった。
この言葉が
わたしを何度も助けてくれた。
『わたしの感覚を、言葉に表してくれた』
心からそう思い、
考え続けることを選んだ自分は
迷わなくなり、
結果、故郷にいられなかった。
正しい街だったのに、
そのままの自分で暮らすのが
つらくて出来なかった。
もし中学生の頃の自分が、
今の自分を見たら、
きっと、
びっくりしすぎて
もしかしたら、泣いてしまう。
そのくらい今、想像していた将来と
違う自分を生きている。
想像の外側に
来ているとさえ感じる。
それでも
何度 自分にきいても最後は
"しあわせ"
が答えになる。
あんな事はもう無理、
もう二度とこえられない。
そんな様々な出来事や、
しなくてもよかったような
経験をしても、
迷わずに今、
"しあわせ"と思えるのは
たぶん、ひとえに
"出会い"のおかげなんだと思う。
人との出会いはもちろんのこと、
音楽や音声、
文章や書籍との
多様なめぐり合わせも含めた、
"出会い"のおかげなんだと
今日も気づき、
そっと
感謝の心を捧げている。
今となっては
愛してやまない東京の、
自分が思う真ん中に、
その心を、そっと置く。
離れていても
親子もまた、
考え方を変えて見れば、
出会いのひとつだと思う。
父と母の子に生まれたという、
偶然の出会い。
母の暮らす、正しい街が
今日も平穏でありますように。
母の日に、
母と父と、故郷を思い、
正しさに、
ちょっと泣いても
"正しい街"を遠くに思い、
"しあわせ"と小さく呟く。