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二十歳の誕生日の思い出の話から続く話話4

「なんで生理的嫌悪なんてのが有るんですかね」
「それ以上は陰謀論では?」
「私は爬虫類好きなんですよな~マルセイ!の作者くらいに」

では、戦火の話をしましょうか。

私が手塚先生を奉じて風見鶏の館に凸する根拠としては「アドルフに告ぐ」の主人公の一人、アドルフ・カウフマンの家が風見鶏の館をモデルとしていると思われるからです。
以前神戸ゆかりの美術館で関連展示やってたので見に行きました。

この作品は私が知りうる限り唯一の明石市が登場する手塚作品です。
B29が明石市の川崎航空機明石工場を直撃するシーンが出てくるのです。

で、その三ページ後にこのようなセリフが出てくるのです。
「神戸へ落とさなかったのは神戸が空から見てすごくきれいだったからだと思うわ」
「神戸は日本で一番美しい港だわ モダンでしゃれてて温かで平和な町よ アメリカだってきっとそのことをよく知ってて残してくれたんだと思うの」

神戸は日本で一番美しい港で、モダンでしゃれてて温かで平和な町であることには一ミリたりとも意義はありません。
ただまあ、その神戸も空襲を受けることは皆々様ご存じの通りでございます。

KAWASAKIというのもまた妙な横軸で、今でも川崎すなわち船舶と鉄道は神戸ですがカワサキすなわちモーターバイクは明石が作っておるわけです。

そして戦中はあっちが戦艦を、こっちが戦機を作ってたわけですが。

特に加古と摩耶の両重巡は兵庫色強すぎると個人的に思ってます。なぜ工作艦はあっちで作られなかったんですかね。そして野坂昭如先生・・・・・・

神戸のすごい所は空襲で火をくらい、少し前には大水害で水をくらい、そして後には大震災で土を食らっているのですが、今なおBEKOBEたり続けていることです。少年Hのラストではないですが、不死鳥です。

大輪田泊からの歴史がそうさせるのでしょうか?
なら、同じく摂播五泊たる明石魚住泊がそうでない理由もありません。

明石は水害こそ範囲外でしたが戦災、そして復興期の大火を経験し、そして震災においても比較的軽微ながら被災経験があります。

因みに衛宮邸モデルの織田家長屋門(読み方は「おたけ」で「おだけ」じゃないです。正確に読めるVは凄い)はこれらの災害全てを目だった傷なく乗り超えています。何かあるのでしょうか。

残念ながら、まだ終われないのです。

セイバーはタコが嫌いなのです・・・・・・
すなわち「明石玉子焼き問題」が関わってくるのです・・・・・・

「繋げ方が雑い」
「ツチノコぉ~」
「二見にこもっとれ!」

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