人はなぜ山に登るのか
「Because it’s there」
1920年代、前人未到であったエベレストの頂へ幾度も挑戦したイギリスの登山家、ジョージ・マロリーは言った。
「そこに山があるから」という和訳は誰しも一度は耳にしたことがあるだろう。
1924年、マロリーが人類史上初めてエベレストの山頂を踏んだかどうかは、今なお謎に包まれている。
山に登る、それらしい理由
マロリーの伝説から100年後の現代、生成AIは何と答えるのだろうか。
気になったので、Chat GPTに「人はなぜ山に登るのか」と訊いてみた。
さすがに回答は、「いやいや、そこに山があるからでしょw」というものではなく、それらしい7つの理由を挙げてくれた。
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1. 挑戦と自己成長
登山とは、身体的・精神的な限界に挑戦し、困難を乗り越えることで自分を試す行為です。その過程では努力や忍耐が必要であり、自己成長を感じることができる。
2. 達成感と満足感
険しい道を歩き、困難を乗り越えた先に待つ頂上からの景色は、達成感と深い満足感をもたらす。この成功体験が、再び山に登ろうとする原動力となる。
3. 自然との一体感
自然の中に身を置くことで、日常の喧騒から離れ、自然と一体化する感覚を味わえる。静寂で広大な風景は、都市生活のストレスから解放され、心をリセットする機会をもたらす。
4. 探検心と好奇心
人間には未知の世界を探求し、冒険する本能があると言われており、登山はその探検心を満たす手段の一つである。新しいルートや山域を探索し、未知の風景や自然の美しさに触れることで、好奇心を満たすことができる。
5. 精神的な浄化と瞑想
登山の過程で、単調な歩行や呼吸に集中することで、心が静まり、自分自身と向き合うことができる。山に登ることは瞑想的な体験にもなり、日常生活で感じる悩みや不安から一時的に解放される。
6. 人間関係の深化
仲間と協力しながら困難を乗り越え、苦労や達成感を分かち合うことで、友情や信頼が強まる。
7. 単純な楽しみ
体を動かし、自然を感じ、新しい景色に触れることが喜びとなる。山頂に着くことが目的でなく、登る過程そのものを楽しむ人もいる。
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確かに、誰しもどれかには当てはまるんだろうなーという感じはする。
人は自己成長、達成感、自然や他者とのつながりをはじめ、さまざまな理由で山に魅了される。
そして、「なぜ山に登るのか」という問いに対して、マロリーが答えた「そこに山があるから」という言葉は、山そのものが挑戦や探求の象徴であり、人々の内なる欲求や自然への憧れを端的に表している、ということになる。
登山は歯磨きと同じ
私はかれこれ15年以上、山をやっている。
どんなに忙しくても月に1度は山に行っている。
山に行かないと、なんだか気持ち悪い。
特に、ストレスの多かった会社員時代は、山に行けない週があると発狂しかけていた。いや、していた。
山は精神安定剤・・・。
確かに、Chat GPTが挙げた7つの理由をみても、それらは中毒性をもたらすものともいえる。
日本の国土の4分の3は山である。
国内にこんなにたくさん山がある日本は恵まれている。
日本のすべての山に登るには間違いなく人生のリソースのほとんどを突っ込まないといけない。
それに、一度登った山であっても、季節が変われば全く違った景色になる。
そして世界にも目を向けるともう、その可能性は無限だ。
日本国内だけでもとてつもないのに、生きているうちにこの地球上のすべての山に登ることなど不可能である。
突き詰めていくと終わりがない。
ある山の頂上に立てば、「あ、あっちに見える山にも行ってみよう」となる。
やりこみ要素がある。だから楽しい。中毒化していく。
山にのめりこんでいく人は、
「なぜスマホを見るのか」
「そこにスマホがあるから」
「なぜ酒を飲むのか」
「そこに酒があるから」
というのと大して変わりはないのだろう。
私もそんなシャブ付け生活を長年続けていき、気が付けば富士山には20回くらい、日本百名山には60座くらい登頂していた。
北アルプスを上高地から親不知(日本海)まで15日かけて縦走したこともある。
毎年海外登山に出掛け、6125mのインドヒマラヤの山にも登頂した。
そんなことをしていると、多くの方から、「なんで山に登るの?」と質問されることがある。
山を始めた当初は、いかに多くの山に登頂するかばかりを考えていた。
当時の私にとって、登山とは「世界が広がっていく感覚」を得るためのものだった。
しかし、今は違う。
私にとっての現在の回答は、「歯磨きと同じ」だ。
やらなくても死なないけど、やらないと徐々に心身が蝕まれていくから、やる。
そして、もはや無意識レベルでやっている。
毎週末に8時間かけて歯磨きしているようなものだ。
つまり、刺激を追求する必要性が薄れ、日常生活に欠かせない習慣になってしまっただけの話である。
そう考えると、「そこに山があるから」の名言に、別の側面を見出すことができる。
「なぜ山に登るのか」と質問した記者に対し、もしかしたらマロリーは内心、「またこの質問かよ、めんどくせえな。あんたも歯磨きするでしょ?」くらいに思っていたのではないだろうか。
そうはいっても、登山とは人生を豊かにする、総合的な営み
山の上は、寒く、空気が薄く、不便で、時に孤独な世界である。
登山とは、金銭や時間、そして大量のエネルギーを消費するくせにまったく生産的でなく、時に生命を脅かす危険な行為である。
しかし、それでも人は山に行く。
人生が豊かになっていくように感じられるからだ。
登山とは、ただ山を登降するだけではない。総合的な営みなのだ。
Chat GPTが挙げた7つの要素は、どれも下山すれば終了という印象だが、そうではない。
訪れる土地の風土、それが織りなす文化や歴史に触れ、教養を深める。
山を通じて、下界では絶対に会わないような人と巡り合い、思わぬ方向へ関係性が発展することもある。
下山直後の安心感。そして下山後の温泉は2倍気持ちいいし、飯や酒は3倍うまい。
家に帰れば心地よい疲れが良質な睡眠を促し、翌日、肉体的な疲労感はあるものの、精神は超絶フレッシュ。仕事がはかどる。
そうやって人生が良い方向に回っていく。
もっと依存度の高い人にとっては、
下界、あるいは資本主義とのコントラストが描く美しさ
シャバにはない、自分にとっての拠り所
-20℃の雪山を一人で登っている時に得られる”生きている実感”
こういったものを求めているのかもしれない。
便益は言葉にするのが難しいし、言葉できたとしても理解されることはあまりない。
そして、このように言語化されるもの以外にも、気付かない恩恵もあるだろう。
換言すれば、登山とは見えない何かを見出そうと旅である。
そんな旅に、あなたも出かけてはいかがだろうか。