綿花(花まくら より 009)
私の初恋のお相手は、小学校一年生の時のクラスメイトの浜田君だ。浜田君とは幼稚園も一緒だったが、クラスが違ったので、接点がなく、浜田君の存在自体、小学校に入ってから知った。
浜田君はクラスで一番、二番目に背が高く、優しげで、足が速く、まとめ役で、カッコよくて、全てがパーフェクトだった。もう一人、佐藤君という子がいて、浜田君と佐藤君がクラスの人気、いや学年の人気を二分していた。と私は記憶しているのだが、もしかしたら、これは自分の主観的な認識で、二分されていたのは私の心であって、学年全体、と感じていたのは行き過ぎかもしれない。だが、まぁ、浜田君と佐藤君は人気を競り合っていて、どっちが好き?という問いかけが女子の間で密やかに、公然と繰り返されていた。
私は佐藤君との方が気が合って仲が良かったのだが、浜田君が好きだった。庶民的な佐藤君とは違って、とある会社の後継ぎだった浜田君は、どこかしら品のある雰囲気が漂っていたのであった。根っからのいやしんぼだった私は、玉の輿だの、なんだの、上流階級の匂いがするものに敏感で、浜田君から漂う、お金の匂いに釣られて目をハートにしていたところが、否めないと思う。まったくもって、残念な子供である。
浜田君は、素直で落ち着きのある男の子だった。ハメを外して怒られるような事はなかったし、授業中も真面目にじっとしている子だった。秀才というには少し足りず、平凡と言えば平凡でもあるのだが、成績は上の中くらいで、色々な面で、例えば工作とか、音楽とか、全般的によく出来る子だった。そつなくこなすタイプだったのかもしれない。思い出して見ると、没個性的とも言えるような特徴の無さで、驚いてしまう。何か一つ、他と違う個性があったりすれば、自分でも納得できるのだが、何一つ、浜田君について、特筆することが見当たらない。強いて言うなら、顔が良かった、ということは確かだ。小学一年生の恋愛など、その程度のものかもしれない。
特筆する個性が無い、などと言ってしまったが、それはわかりやすく、何か得意な物があるわけではない、という意味で、一方で浜田君は、人となりが優れていた。温和で、優しくて、無茶をせず、人当たりがよくて、嫌われることのない性格をしていた。人から妬まれたり、やっかまれたり、そういう人間の嫌な面を寄せ付けない、さらりとしたところがあった。これが凄かった、というには弱いかもしれないが、私は浜田君のそういうところを、良いな、と思っていた。自分には無い部分だという、若干の後ろめたさも、当時からあったように思う。
小学一年生の春、生徒それぞれに植木鉢が配られた。植える植物は朝顔である。これは全国共通だと聞くが、夏休みの課題として、朝顔の観察日記を書くために、朝顔を植えるのである。そして私の学校では、小学二年生の春に、朝顔を植えていた植木鉢を空けて、今度は、自分の好きな花を植える、という観察学習を行うことになっていた。生活科、という科目で、首からかける黄色い板、板にファイルが付属していて、そこに日記を収める、というものが付き物だった。生活科ファイル、だったか、そういう名前で、生徒一人一人が持っていた。
私の小学校では、一、二年生はクラス替えがなかったので、私は一年生と二年生まで浜田君と同じクラスだった。浜田君が二年生の時、植木鉢に植えたのが、綿花だった。どこからそんな種を持ってきたのか、という私の問いに、浜田君はお姉ちゃんが育てていた種をもらった、と答えた。彼にはお姉さんがいたのである。果たして、そんなものをお姉さんがどこから調達したのか、それはわからない。園芸で育てるようなものではないから、どこかツテがあるか、何かで分けてもらったのだろうか。今の世の中なら、探そうと思えばインターネットで取り寄せれば、どんなものでも手に入るだろうが、一九九〇年前後のこと、どんな経緯で浜田家に綿花の種があったのか、ちょっと不思議である。
浜田君が綿花を育てている、というのは、綿花がワタを付けるまで、みんな気がつかなかった。育てている過程では、とりたてて興味を引くような植物ではなかったのだと思う。浜田君の綿花は、真面目な浜田君の世話を受け、芽を出し、茎を伸ばし、葉を伸ばし、花を付け、そして結実し、ある日、爆ぜた。綿花から取るワタは、花の終わった後の実が爆ぜることで、ポンと出てくるのである。半分枯れたような実から、ワタがはみ出しているのを見つけ、私は目を丸くした。その日から、急に浜田君の育てている植物に、クラスメイトが興味を寄せるようになった。
それはなあに?
というクラスメイトの問いに、浜田君は、これはワタだよ。と丁寧に教えてくれた。浜田君自身は、家でお姉さんが育てた綿花を見たことがあったのか、特段驚いている様子はなかった。しかし、私には、特別変わった植物に見えて、これがワタなのか!と、とてつもなく驚いていた。だって、ワタなのである。手芸用のワタそのもののワタが、植物の先端に、ポンとついているのである。一つの枝に、ピンポン球ほどの大きさで、塊になってワタがくっついている。とても変わった光景だった。いいなあ、と私は思った。浜田君の生活科の観察日記は大成功と言えるだろう。それに引き換え私ときたら…。
私が二年生の初めに選んだ種は、ワイルドフラワーというものだった。このワイルドフラワーというのは、園芸店の種コーナーで選んだものだったのだが、私はそれが何かよくわかっていなかった。ただ、パッケージに描かれた青っぽい花、今思うと矢車草か何かだと思うのだが、それが大人っぽく、またワイルド、という言葉も素敵に思えたのだ。私はその青っぽい花が、色々な花と一緒になって写真に収まっているのを見て、カッコいいな、と思ったのである。果たして、それを学校に行き、さぁ植えよう、と封を切ってみると、なんと言うことだろうか。中には三、四種のタネが混ざって入っていたのである。どういうことかというと、このワイルドフラワー、というのは、ある種のテーマであって、そのテーマに沿った花の種が色々詰め合わせてある、という商品だったのである。私はてっきり、ワイルドフラワーという名前の花の種だと思ったのだが、それは勘違いだった。わかってみれば、パッケージの表には、中央の青い花以外に、小花がちらほらと咲いているのが写っている。パッケージの裏をよく読めばわかったことなのだろうが、悲しいかな、そこは小学二年生のこと、そこまでの知恵はなかったのである。
私が種をじっと見ているので、担任の先生が気づいて、私は先生に、これはちょっと違ったみたいね、と言われた。私はそれが悲しくて、やさぐれた気分になってしまった。それから、一応、他に蒔くものもないし、みんなと一緒に蒔くには蒔いたが、全然愛着がわかず、それが理由でもないだろうが、ワイルドフラワーはしょぼしょぼと芽を出し、中途半端に咲いて、クラスの中でも早々に花が終わってしまった。ほろ苦い思い出である。自分の鉢植えがそんな調子だったので、浜田君の綿花はひときわ輝いて見えた。他の子も、ひまわりだ、コスモスだ、と成功していたが、浜田君の綿花は、珍しい、見たことのない、変わっている、という点で、私の心をとらえた。浜田君は私に、ワタの一つをくれた。それは本当に不思議な物体で、植物から取れたとは思えないような、工業的な印象を持ったものだった。
その後の私と浜田君のエピソードといえば、私は自然と浜田君から別の男子に興味が移り、数年が経ち、ある時、あっというところで再会した。高校の渡り廊下である。事情は大幅に省くが、再会した時、私は二度目の高校一年生だった。浜田君は、高校二年生だった。私は、自分と浜田君が同じ高校に進学していた事を知らなかった。えっ、同じ高校だったの、と、その時初めて知って、非常に驚いた。浜田君も同じだったようだ。
こんな事を言っても始まらないが、もし、浜田君が同じ高校にいると知っていたら、私は一度目の高校一年生を一週間で見切りはしなかったかもしれない。もう少し、やってみよう、と思ったかもしれない。そんな風に、その時、一瞬だけ思った。浜田君が、私の小学校一年生のころの、懐かしく優しい思い出の象徴だからかもしれない。十六歳の当時、救いようもなく殺伐とした人生を送っていた私の中に、一瞬、小学生の頃の、浜田君のお家に遊びに行った情景、バレンタインデーにチョコレートを渡したこと、お返しのプレゼントを家に届けに来てくれたこと、そんな思い出が浮かび、消えた。
浜田君に会ったのは、それが最後である。
さて、次のお話は…
一つ前のお話は…
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