制限させることによって自由を得るという話
筋肉をつけるには沢山食べることが必要だと知って絶望している以下同文です。(食が細いのよ)
友達から聞いた話で「SMプレイの一環で縛られることによって自由を得る人がいる、だから制限されることは大切」みたいなことを聞きました。
毎回聞いてはどういう理屈だったかを忘れてしまうのですが、今日は僕の考えをまとめてみたいと思います。
映画「ショーシャンクの空に」を観て
いきなり話は脱線して最近「ショーシャンクの空に」という映画を観ました。
ショーシャンクというところにある刑務所内の受刑者たちの話なんですが、あるシーンが印象的でした。
受刑者の一人で主人公たちの友とも言えるとある老囚人が仮釈放されるシーンがあるのですが、その老囚人は人生の大半を刑務所で過ごしてきたこともあり外での生活が不安でたまりません。
今まで暮らしてきた刑務所とはまるでルールが違いますし彼は既に老人で今更違うルールの中では生きることも出来ないと思い自殺をすることになってしまいます。
ルールが不安を消してくれる
どうやら人が生きるのにルール(=正解がある)は大切なようで、人々はあらゆるルール(宗教、法律、世間体など)に則って日々の生活を営んでいます。
では何故人にはルールが必要なのでしょうか?
聞いた話ではありますが面白いと思ったのが、人は産まれた瞬間から死に近づいていく一方です。
その死が近づく恐怖や不安の中で「自分は何故生きるのか?」や「何のために生まれたのか?」という生まれた意味を問うことになります。
そこには正解などありません。何故ならそこにはそもそもルールがないからです。
だからこそ人は自分でルールを作りだします。
「隣人を愛せ」や「ある時間なったらお祈りをしなさい」「トイレに行くときは囚人番号と許可を得よ」などです。
そしてそのルールに則ることによって今自分の行なった行動が正解か不正解かを判断することができるそれがたとえ不正解であったとしても「不安」という感情から解放されるのです。
つまり制限されるとはルールがあるということであり、それは自分の行動に対して正解か間違いかを教えてくれるものでその判断をできることで人は負の感情から逃れることができ「自由」を得ることが出来るのです。
僕の友達が話したかった内容がこんなことかどうかは分かりませんが、僕の中での結論はここに落ち着きました。
割とこの考え方に辿り着いたのはやはり「ショーシャンクの空に」を観たことが大きかったように思います。
時に映画は自分の中で答えの出せないものを教えてくれる教材になるんだなと改めて思い知らされました。
これからも沢山の素晴らしい映画に出会えることを楽しみにしています。
以上以下同文でした。
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